チェロ奏者であり、牧師でもある。公演ではいつも、曲の合間に聖書からのメッセージを語る。「主イエスにあるただ一つの慰めを届けたい」。20年以上にわたって演奏し続けてきた思い出の曲を収録した。
5代前から続くクリスチャンの家庭に生まれ、音楽の勉強に明け暮れていた大学2年生の時に受洗。子どものころから聞いていた聖書の話が真実であり、自分の人生すべてが神の愛によって導かれていることを確信した。
音楽大学卒業後、神学校に入学。きっかけは、祖父の病床洗礼だった。死を間際にして悲嘆に暮れていた祖父が、受洗の喜びのあまり、ベットの上に身を起こして讃美歌を歌いだしたのだ。「主をお迎えするということは、死を待つばかりの祖父にさえ真の喜びと生きる力を与える」。これからの生涯を、ただ主と共に歩みたいと決意した。
ちょうど同じころ、母の闘病生活が始まった。病名は「若年性アルツハイマー」。字を忘れないようにと毎日少しでも日記を書かせ、食べられなくならないようにと毎日数時間かけて食事を口に運んだ。「他に何も要りませんから、どうか母の病気を治してください」と祈り続けた。だが、病状は悪化。最後は何もできなくなり、息を引き取った。
悲しみに暮れていたある日、一節の聖句が心の中に深く、静かに響いてきた。「わたしの目にあなたは値高く、わたしはあなたを愛する」(イザヤ書43章4節)。「そうか。母は惨めに壊れてしまったのではない。神様の最愛の子どもとして完全に受け入れられてみもとに召されたのだ」。悲しみの涙が感涙と賛美に変えられた瞬間だった。
公演でいつものように演奏する曲がある。「ああ感謝せん、感謝せん、我が神、今日まで我を導きませり」と歌うヘンデルの名曲だ。「神様が共にいてくださるから、喜びの時も、悲しみの時も、神様に向かって歌うことができるのです」
「とも子」という名前は、「インマヌエル―神われらと共にいます」という聖書の言葉からつけられた。「父母が命名してくれた通り、神様がいつも共にいてくださる人生の喜びと感謝を、これからも多くの方々と分かち合っていきたい」