不条理なる死を不可知の光で中和せよ─キリスト教スピリチュアルケアとして─(96)
ヨセフは兄弟に言った。「私は間もなく死にます。しかし神は必ずあなたがたを顧み、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」ヨセフはさらにイスラエルの子らにこう言って誓わせた。「神は必ずあなたがたを顧みてくださいます。その時には、私の骨をここから携えて上ってください。」ヨセフは百十歳で亡くなった。人々はエジプトで彼をミイラにし、棺に納めた。(創世記50章24〜26節)
最近、「帰還権」なる言葉を聞いた。今まで聞いたことのない言葉だったので少し戸惑った。私は19歳で高知を離れ、たまの帰省を除けばほぼほぼ故郷外で過ごしている。既に高知には帰るべき家もないので、帰省をしてもホテル泊となる。私は故郷を追い出されたわけでもないし、帰省を邪魔されたり、反対されたりすることもない。同窓生も何人かは高知にいるから彼らに会うことも可能である。
長い間、ユダヤ人はイスラエル人と呼ばれることはなかった。今でもあまりないのかもしれない。事実として言っておくが、イスラエル共和国籍の人が必ずしもユダヤ人ということではない。にもかかわらず大抵の場合はイスラエル共和国=ユダヤ人の国だと認識されているのではなかろうか。
イラン紛争なのか、イランの地における戦争なのか分かりかねるし、一部の報道では、イランへの攻撃の首謀者は米国というよりも、むしろイスラエルではないかと論じる人もいる。ついでに言えば、イスラエル共和国はレバノンに進攻して人的物的双方に甚大な被害を与えている。それだけを見れば「何ということか」と思うのは当たり前だ。
政治的な背景など本当のことは知る由もないが、とにかくレバノンでの戦闘を他国は止めることができなかった。レバノンは歴史のある古い国家であり、聖書時代のイスラエルの隣国であった。故にイスラエルがレバノンの地を「奪回する」とかそういう権利は全くないと思う。
冒頭に書いた「帰還権」とは、ユダヤ人がかつて民族の生きていた場所に戻る権利があるかどうかという文脈で語られた言葉である。有名な著作家である佐藤優氏が語っていたことだが、「今日のどのような状況においても、ユダヤ人がイスラエルに帰還する権利を否定すべきではない」と言う。
私たち日本人には帰還という言葉そのものがなじみではないが、故郷を離れ、長い時間生きてきた人々が、特にユダヤ人の場合は2千年に近い時間を経たわけだし、とにかく多くのユダヤ人にとって、たとえ19世紀にはパレスチナと呼ばれた場所であろうと、そこは間違いなく「イスラエルの地」に他ならないということだろう。キリスト教的に言えば聖地ということになるらしいが(私はかつて一度もそういう意識を持ったことがないし、所属している正教会もかの地を聖地と言ってはいない)、そういう問題もややこしいから深掘りしないでおこう。
「パレスチナ・イスラエル・中東」問題について、私は信仰的にとか、神学的にとか、そういう視点を持ちたくない。ただ、全くの個人的な感情で述べさせていただくならば、イスラエルの「帰還権」については否定したい派である。
イスラエル共和国とユダヤ人の帰還権は別問題だと思う。19世紀に始まったシオニズム運動はユダヤ人国家の誕生を目標にしていたと理解しているが、そもそもそこに問題はなかっただろうか。ユダヤ民族国家が必要だと国連が認めたにしろ、ユダヤ人だけの国家という意味だったのだろうか。
国連によるイスラエル共和国承認については渋々認めるとしても、その後のイスラエル共和国による非道については腹立たしく思っている。イスラエル共和国はなくなってもよいではないかと極端なことは言わないが、ユダヤ民族主義に凝り固まったイエスラエルは見るに忍びないのだ。さらについでに言うが、私はキリストが再臨する場所がイスラエルだと思っていないし、そもそも場所を特定するのは全く聖書的ではない。
民族自決という言葉を知ったのは小学生の頃だったが、実際に何を意味しているのかよく分からない。民族といっても幅広い概念であって、人種言語文化宗教などなど多くの要素で語られる。かつて兄から「ユダヤ人というのはユダヤ教を信じている者たちのことである」と教えられたが、本当のところ、それは怪しい。
聖書にはイスラエルの末裔(まつえい)が故郷への帰還を渇望する場面がたくさん書かれている。今回引用した箇所は、エジプトの地に逃れたヤコブの子どもたち、特にヨセフに関わる場面である。ヨセフが死を迎えたときに、彼の兄弟たちに「神がいつの日か故郷へ導いてくれること」を確約した。それが実現するのは400年以上を経たモーセの時代になるのだが。
ヨセフは兄弟たちに言った「神は必ず顧みてくださる」と。この言葉に「帰還権」を読み取ることは自由であるが、神がなしてくださることは果たして「権利」なのかどうか私には悩ましい。権利であるのかもしれないが、それでも、それは平和に満ちたものであるべきだ。「帰還権」と「交戦権」を混同することは、あってはならないと思う。なぜなら、イスラエルの末裔を顧みる神は「善にして愛」なる方なのだから。(終わり)
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