イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦(ゆる)すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります」(ヨハネ20:19~23)
今日は、よみがえられたイエス様が与えてくださった3つの大切なことについて確認しましょう。それにより、イエス様を裏切った情けない弟子が使徒と呼ばれ、聖霊による御業が現されて、病める者は癒やされ、力強い教会が誕生したのです。
1. 平安が与えられた
十字架でイエス様を失った弟子たちは、集っていることがユダヤ人たちに見つからないよう、不安の中で隠れて暮らしていました。その時、よみがえられたイエス様が突然その場に現れて「平安があるように」と言われました。
私たちは今、イエス様を礼拝することで迫害を受けることはありませんが、コロナや仕事、人間関係、お金のことで不安や恐れの種は尽きません。その最たるものは、死でしょう。その死の力を克服し、よみがえられたイエス様が私たちと共におられ、平安を与えてくださっています。だから、クリスチャンが不安の中に生き続けるということは、実はあり得ません。私たちは必ず平安を頂くことができるのです。
2. 新たな使命が与えられた
隠れていた弟子たちは、絶望して抜け殻のようになっていたでしょう。自分たちもいつイエス様のように捕らえられるかと不安に陥り、イエス様を裏切った罪責感もあったでしょう。そのような中で、イエス様は「あなたがたを遣わす」と言って弟子たちに新しい使命を与えてくださいました。その後、弟子たちを通して教会が誕生し、彼らは大活躍をしていきます。
私たちも十字架と復活のイエス様を信じると、新しい使命が与えられ、とてつもなく大きな人生が動き始めます。その使命を頂いて元気に生きていかなければなりません。どのような状況の中でも、常に力強く前進しましょう。
3. 聖霊が与えられた
イエス様は「聖霊を受け、罪を赦しなさい」と言われました。聖霊とは、イエス様の内に働いていた神の御霊のことです。この聖霊が私たちに注がれて強められ、私たちが人々に罪の解放を宣言し、癒やしを祈るなら、そのようになるのです。
十字架と復活のイエス様によって平安、使命、聖霊が私たちに与えられました。これらは単なるイメージや概念などではなく、具体的に私たちの人生に働いているのです。イエス様が弟子たちと生きた時代から、時間も場所も遠く離れた2021年の日本で、私たちはなぜ教会に集うのでしょうか。それは、使徒たちが体験した聖霊の力が今も働いているからです。私たちが今日祈るとき、よみがえりの主によって与えられた、何があっても微動だにしない平安と使命、聖霊の働きによって、人々は罪赦され、悪霊から解放され、病から癒やされるのです。
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