米国の若いオンライン伝道者がユーチューブで、「『イエス』と『宗教』は同等のものではない」とのメッセージを伝え、話題を呼んでいる。
今月10日にアップロードされた「Why I Hate Religion, But Love Jesus(なぜ私は宗教を憎むが、イエスを愛するのか)」というタイトルのビデオは、23日現在で1600万回以上再生されており、ユーチューブの中で最も注目されているビデオの一つになっている。
急激な注目を集めながら物議を醸しているビデオの中でジェファーソン・ベスキ氏は、「イエスと誤った宗教との違いと、真実を理解するための道」を示している。
ベスキ氏は、「私が語ったイエスが宗教を廃止するためにやってきたとしたらどうだろう」と語り、「もし宗教が非常に優れたものだと言うなら、なぜ多くの戦争が起こるのか。巨大な教会を設立しながら、なぜ貧しい人々への施しが十分ではないのか」との質問も投げ掛けている。
「宗教は奴隷で、イエスは息子。宗教はあなたを拘束するが、イエスはあなたを自由にする。宗教はあなたを盲目にするが、イエスはあなたに真実を見せて下さる」と彼は付け加えた。
ベスキ氏は、クリスチャンが衰えていく教会で子どものような行動を取り、「見せ掛けの外見を装うこと」に人生を費やしていると語り、多くの「上辺だけ」のクリスチャンを非難している。
「宗教の問題は、核心的なものを得られないということ」と断言するベスキ氏は、「それは雑用の長いリストのようなもので、出掛ける際は正装するというような習慣をつけさせ、外見を素敵に、小奇麗に取り繕うだけだ」と述べている。
また、彼は、「教会は善人たちの博物館ではなく、傷付いた人々のための施設だ。つまり、自分の間違いや罪を隠す必要はないということだ。自分にではなく、神に左右されることなのだから」と語っている。
ベスキ氏は、「人が神を探し求める」のが宗教で、「神が人を探し求める」のがキリスト教だと主張し、これが主が人間に自由をお与えになる理由であり、赦しは「努力」によるものではなく、ただ「キリストの従順」に基づいたものだと説明している。
「だから私は宗教が嫌いなことに気が付いたんだ。実際、赦しについて本当に憤っている。イエスが『完了した』と叫ばれた時、赦しは成し遂げられたと信じているからだ」と彼は述べている。
ベスキ氏は、多くの礼拝所で見られる偽善や律法主義を暴きたいと明言しているが、教会と聖書を愛しており、自身のフェイスブックには、「もしあなたが『教会』を非難するために私のビデオを利用しようと思っているなら、気を付けて欲しい。私にはそんなつもりは毛頭ないのだから」と記している。
彼は、「教会はイエスの花嫁なのだから、彼の妻に対してどう話し掛けるのか気を付けなければならない。あなたが彼の妻を非難し、不満を漏らすことが正義であると考えているならば、それがどれだけ大それたことなのだろうか。私は身震いがする」と語り、「教会は失われた御言葉を伝達する神の道具であり、罪深き人々のための施設だ。我々は全て神の恵みの下にいる。神に目を向けて欲しい」と述べている。
ビデオはCIK(クライスト・イズ・キング)プロダクションが制作し、クリスチャン・ヒップ・ホップ・プロデューサーのマシュー・ロバートソン氏が運営している。
「Why I Hate Religion, But Love Jesus」は賛否両論を呼び、インターネット上には多くのコメントが寄せられている。
視聴者の一人は、「我々クリスチャンはキリスト教を宗教として考えていないが、神とは密接に繋がっていると考えている。ビデオに対して誤った判断を下す前によく考えてみて欲しい」とコメントした。
また、別の視聴者は、「多くの人は『宗教』であるという理由からキリスト教から遠ざかっている。宗教はあなたを幸福へは導かない。キリスト教は神とあなたの関係、あなたの救い主としての神を理解することなんだ」と述べた。
さらに、別の視聴者の一人は、「イエスを愛するのに教会へは行かないのか。イエスは人々をお集めになった。キリスト教は共同体だ。十字架のように垂直に神と繋がりをもち、水平に社会との繋がりをもつんだ」と発言した。
現在、米国ワシントン州セント・オーバーンにあるマース・ヒル教会のメンバーであるベスキ氏は、「都市部の人々の生活を変化させるイエス・キリストの福音をもたらす精神」をもっており、精神的な激励や教育、信念を提供するウェブサイトであるchiselseason.comに貢献している。
ベスキ氏は以前、CIKプロダクションから「Sexual Healing(性の癒やし)」という別のビデオも出している。その中で彼は、「娯楽としての性行為では満足を求めてもそれを得ることはできない」と強調し、「『性の癒やし』は、性的な罪による深い影響や痛み、傷を経験したことのある人に焦点を合わせている」と述べている。