御言葉の確かな約束と、什一献金の恵みを読者の皆さんにお知らせしたい――本書のために筆をとった理由を著者はこう語る。什一献金と聞くと、律法的だと感じる人も多いかもしれない。しかし著者は、「私にとって、什一献金が窮屈な律法主義だと感じたことは一度もありません」と、什一献金を義務としてよりも祝福という視点で見る。
著者が生まれ育ち、今は牧師として召されている神の家族主イエス・キリスト教会は28年前、公園での礼拝で始まった。教会内の分派により、当時の主任牧師とともに著者を含めた20人余りが追い出されてしまったのだ。しかし、神の約束を信じ御言葉に従い通した小さな群れは28年後、さまざまな困難を経験しながらも、470坪の土地に鉄骨造3階建の大きな教会をささげるまでに祝福を受けるようになった。
本書では、同教会で起こった数々の奇跡の証しとともに、「経済的な祝福だけではなく、あらゆる祝福でした」と著者が語る什一献金についての「すゝめ」が記されている。
「他のほう(什一献金)もおろそかにしてはいけません」(マタイ23:23)とイエス・キリストも什一献金を否定していないと説明し、「(什一献金が)新約においても有効であると確信し、主の御前で責任を持って発言します」と力を込める著者の什一献金に対する認識は真剣であり、実際的だ。
什一献金は義務なのか。所得に差があっても平等と言えるのか。サラリーマンなど給与所得者にとっての10分の1とは。什一献金と救いの関係について。生活保護者はどうするべきか。什一献金に実際に向き合っている著者だからこそ答えられる具体的な指南が記されている。
押し付けでもなく、叱責でもなく、義務でもなく、「什一献金の約束と祝福を伝えずにはいられません」と話す著者が、什一献金によって祝福を受けた著者と同教会、また教会の信徒一人ひとりの歩みについて証しする一冊。( 『什一献金のすゝめ』を購入する)