第4回ローザンヌ世界宣教会議が9月22~28日に韓国・仁川(インチョン)で開催され、4日目の25日は「迫害」を主題に各種プログラムが行われた。イランやインド、中国、またアフリカや中東といった地域のキリスト者が登壇し、実際に直面している迫害の実態を語った。
イランからは、共にキリスト教信仰の故に投獄された経験のある2人が、政府による迫害という困難に直面しつつも、なお福音を伝え、成長するイランの教会について証しした。2人の証しの前には、イランにおける主にプロテスタントのキリスト教の歴史を紹介する映像が流された。
新約聖書完訳から200年、イランで芽生え始めた福音の種
1800年代初頭、英国人宣教師のヘンリー・マーティンが、新約聖書全体を初めてペルシャ語に翻訳した。しかし、マーティンは1812年10月16日、31歳の若さで亡くなってしまう。彼はイランでただ一人もキリストの元に導くことはできなかった。
1869年、同じく英国人宣教師のロバート・ルースが、スコットランドからイラン中部の都市イスファハンに向かった。しかし、福音に対する大きな反応はほとんど見られず、ルースは支援者らに宛てた手紙に次にように書いている。
「私は収穫を得ていません。私は種をまいているとも言えません。私はほとんどこの地を耕すのではなく、石を集めています」
そして、それから数十年の間に、さらに何人かの宣教師がイランに渡った。1950年代、ペルシャ語を話す人の中で、イエス・キリストに従う人はほんのわずかに過ぎなかった。しかし、世界中のキリスト者がイランのためにますます祈るようになった。
それでも、イランの教会の苦難は続き、1996年までに7人の主要な教会指導者が殉教した。多くの人々が、イランで教会が生き残れるのかどうかを疑問に思った。しかし、殉教者たちの血が福音の種に水を与え、1990年代後半から全国各地で「家の教会」が生まれ始めた。だが、イラン政府はこれらの家の教会を厳しく取り締まり、何百人ものキリスト者を逮捕するのだった――。
歴史を紹介するビデオが流された後、イラン人主体の宣教団体「エラム・ミニストリー」で、イランとペルシャ語圏の教会を支援する働きをしているファルシド・ファティ氏と、イランで伝道活動をしていたため投獄され、トルコで約10年間教会開拓をした後、現在はアルゼンチンに住むサラ・アカバン氏が証しを語った。
5年間の獄中生活に耐えたファルシド・ファティ氏
皆さん、こんにちは。ここに来られて光栄です。実は、私は2010年にケープタウンで開かれた第3回ローザンヌ世界宣教会議に参加する特権にあずかりました。その時、イランから来たのは私だけでした。しかし、それから65日後、帰国した私は逮捕され、キリスト教信仰を理由に5年間刑務所で過ごさなければなりませんでした。
私の両親はモスクでコーランの教師をしていました。しかし、1996年、主は私のような罪深い人間を見つけてくださいました。その日のことは、昨日のことのように覚えています。私が悔い改めて教会から出てきたとき、主の霊から大きな喜びが私の上に注がれていました。
その後、私は英国の大学に留学しました。実は、私の偉大な先生がたの何人かは、今日ここにいらっしゃいます。2005年に卒業した後、私はイランに戻りました。そして、その年の秋、私のアパートで、2家族だけで最初の家の教会を始めました。2家族だったのが、4家族、5家族と増えていき、教会もどんどん成長していきました。
ご存じのように、イランの教会は世界で最も急速に成長している教会の一つです。私は2010年までの5年間に、イランの20都市に48の教会を開拓しました。伝道です。ハレルヤ。伝道は私たち教会員のライフスタイルとなりました。ですから、私たちの教会は今日、牧師だけでなく、教会員を通しても成長しています。
なぜなら、私たちは救いに興奮しており、その喜びを信じ続けているからです。どんな代償を払っても、私たちは黙っているわけにはいかないのです。しかし、2010年12月26日午前6時ごろ、私と牧師たち全員がイランの情報機関に逮捕されました。
その結果、私は5年間、実際には4年と360日間、刑務所に入れられました。2メートル四方の独房に入れられ、1年間は太陽を見ることができませんでした。しかし、主は私の光であり、救いでした。
昨日、私たちは主の慈しみについて歌いました。私は涙を流しながら歌いました。正直に言って、主はとても良いお方です。ですから、主の慈しみによって、そして皆さんのような人々の力強い祈りによって、私は2015年12月、1820日間の刑務所生活から釈放されました。それ以来、イランの教会がさらに急速に成長しているのを見続けています。
しかし、イランで迫害を受けたのは私だけではありません。何千人ものキリスト者が迫害に直面しています。数百人が逮捕されています。そして、このイスラム国家は、私たちの主要な牧師の何人かを殺害しました。彼らは私たちの殉教者であり、英雄です。しかし、兄弟姉妹の皆さん、私は苦しみや迫害が彼らの物語の終わりではないことを証言するために、ここに立っています。なぜなら、主は美しい物語を書いているからです。
敵対者たちは実際に教会を止めようとしました。イスラム革命のあった1979年、イランにいるキリスト者は多くとも500人とされていました。しかし、今日ではどうでしょうか。少なくとも100万人のキリスト者がいます。
私たちは、より多くの人々、より多くの指導者を訓練し、まとめ上げています。より多くの聖書と弟子訓練のためのリソースを作成しています。なぜなら、私たちはこれ以上の成長を待ち望んでいるからです。そして今、ごく簡単に、なぜ迫害が彼らの物語の終わりではないのかをお話ししたいと思います。
第一に、それは彼らの物語の一部だからです。それが彼らの物語の終わりではありません。私は救われたときから、いつか迫害が来ることは分かっていました。だから私はいつも言っているのです。愛の最大の現れとは、苦しみであると。つまり、あなたが誰かをどれだけ深く愛しているかを知りたければ、その人のためにどれだけ苦しむことができるかを見なければなりません。イエスが「これ以上の愛はない」と言われたのはそのためです。
迫害が彼らの物語の終わりではない第二の理由は、私たちが物語の終わりを知っているからです。マタイの福音書16章で、イエスは言われました。「わたしの教会を建てます」と。また、ヨハネの黙示録の中でも、イエスはご自分への反逆を覚えていると言われています。
心配しないでください。迫害は物語の終わりではありません。私たちは皆、この物語の一部だからです。キリストの体の一部です。私は、血を流している体の一部からお話ししています。私たちは皆、この物語の一部なのです。
獄中で賛美を歌ったサラ・アカバン氏
皆さんとご一緒できて光栄です。使徒言行録にあるように、神の言葉は語り続けられています。私の体験談をお話しさせていただきます。私も他の多くの人々と同様に、死の陰の谷を歩く特権を得ました。しかし、ここで皆さんにお伝えしたいのは、神は常に最後の言葉を持っておられるということです。私は首都テヘランに住み、新約聖書を積極的に配り、イエスの言葉を伝えていました。
私は2カ月間断食して祈り、神が他の都市に教会を建てるための扉を開いてくださるよう願っていました。そして、私たちの祈りは聞き届けられ、イランの宗教都市の一つであるイスファハンで、新しい働きを始める機会を得ました。
私は1年間、毎週テヘランからイスファハンに通い、この新しい小さな群れを教えました。毎日6時間の長旅でしたが、この人たちと一緒にいられる喜びのために、疲れを感じることはありませんでした。彼らは主に飢え渇いており、信仰において成長することを望んでいたのです。彼らは主に仕えることを心から願っていました。
そして、私は彼らが成長するのを助けるために、イスファハンに引っ越すべきだと決心しました。私が引っ越したとき、主はイスファハン周辺の7つの町に教会を建てるよう、とても明確に語りかけてくださいました。私は主に言いました。「どうしてそのようなことが可能でしょうか」と。その答えは、祈りの中にあることを知っていました。だから私たちは、祈り、断食をし、7つの伝道チームを送り出しました。
私たちは祈りながら歩き、数週間の間に7つの町に派遣されました。しばらくすると、神が次々と扉を開いてくださったのです。最初の扉、2番目の扉、3番目の扉、4番目の扉、5番目の扉と、神は驚くべきことをしてくださったのです。毎日、神は私たちの教会に新しい人々を加えてくださいました。そして、シャットフォードウッドという名の町に、もうすぐ7番目の教会が建てられるところまで来たのです。
しかし、2010年のクリスマスの翌日12月26日午前6時50分ごろ、私たちの家のドアがノックされました。「われわれは警察だ。ドアを開けろ。開けないと、ドアを破壊する」と言われました。母がドアを開けると、5人の怒った警官が入ってきました。
その夜、私は独房に入れられ、汚い囚人服を着せられました。失望して食事も喉を通らず、その夜は眠れませんでしたが、4日間は自分の心の中で静かに過ごしました。その時、美しい声が聞こえてきました。「自分を見なさい。あなたは私があたかも死んでいるかのように振る舞っている。自分自身を振り返りなさい。私を死人のように扱ってはいないか」と。
私は賛美を歌い始めました。この歌は、元はスペイン語ですが、ペルシャ語に訳されています。「私たちはイエスの御名によって勝利を得る」と賛美しました。そして37日後、神が扉を開いてくださり、私は釈放されました。
多くのキリスト者が私に「もうこの国を出た方がいい」と言いましたが、主は私に「娘よ、この地を離れるな。私はあなたと共にいる」と言われました。
私がいない間に、この神の家族を導いてくれていた人々がいました。私は彼らに会い、その晩泊まり、自分の心の内を語りました。そして、神が私に7番目の教会を建てるための扉を開いてくださったことを伝えました。だから、この教会は今も成長し続けています。兄弟姉妹の皆さん、どんな反対に直面しようとも、神の言葉は広がり続けています。アーメン。
ファティ、アカバンの両氏はいずれも、投獄という厳しい迫害を経験したにもかかわらず、悲壮感を全く感じさせず、そうした中でもなお働かれる神を、賛美と喜びをもって証しした。
この日は、イランの他、迫害に直面するさまざまな国のキリスト者が語った。中には、放火により全焼した教会の焼け跡から見つかったという、半分焼けた聖書を見せる登壇者もいた。
また、イラン以外の登壇者のほとんどは、母国で危険に遭う可能性があるため、参加者は撮影や録画を控えるよう求められ、緊張感ある中で発表が行われた。
世界各国の迫害状況を巡っては、「オープンドアーズ」や「殉教者の声」(VOM)、「自由防衛同盟」(ADF)などのキリスト教団体が報告書を出しており、ローザンヌ運動はそれらを読むことで現状を知り、祈り、そして孤独の中にいる現地のキリスト者に励ましの手紙を送るよう呼びかけている。