わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。…枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ15:1~5)
クリスマスは、愛を表現する喜びの時として世界中に広がっていますが、クリスマスが愛に満ちたものである理由は、ただ一つ。神の御子である救い主キリストが、あなたを救うために愛をもってこの世に下って来てくださったからです。このイエス様の誕生を祝うクリスマスに、その恵みを一番分かっているクリスチャンである私たちが、証しをしていきましょう!
私たちは、コロナウイルスがもたらした悪い影響を受けて、今、まさに「光」が必要です。救い主であるイエス様が闇の中に輝く光としてこの世に来てくださった事実がどれほど素晴らしいものかを再確認し、イエス様の愛に心から感謝しましょう!
本日の聖書箇所から、主キリストにつながることで与えられる素晴らしい4つの恵みを確認しましょう。
1. 命が与えられる
ぶどうの木を見たことはありますか。ぶどうの幹からは何本もの長い枝が伸びています。しかし、どんなに立派な長い枝であっても、幹につながっていなければ栄養分が届けられず、切り落とされて燃やされてしまうのです。私たちの人生において一番大切なことは、救い主であるイエス様につながっているかどうかということです。今、あなたはイエス様につながっていますか。イエスにつながり、命を頂きましょう。私たちの存在の理由も全部そこにあります。
2. 願うものが与えられる
聖書には、イエス様が単に病気を癒やして命を救出してくださっただけでなく、カナの婚礼や5千人の給食など、私たちの求めに応じて人生を豊かに潤すために必要を満たしてくださった記事が記されています。イエス様は「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい」(ヨハネ15:7)とおっしゃいました。イエス様につながる者が祈って求めるなら、主は祈りに応えて私たちの人生に必要なもの、豊かにするものを与えてくださいます。
3. 最高の愛が与えられる
イエス様は「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい」(ヨハネ15:9)と語っておられます。イエス様は、私たちを愛し、命まで捨ててくださいました。コロナ禍で人と人とが分断されているうちに、愛を忘れることがないようにしましょう。イエス様はその愛を惜しみなく与えてくださいます。
4. 実を結ぶ能力が与えられる
神様から愛と命を頂いている私たちは、しっかりと実を結んでいるでしょうか。イエス様は「わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり」(ヨハネ15:16)と語っておられます。主は、あなたが実を結ぶようになるために、あなたを選んで愛してくださいました。私たちはイエス様につながっているのですから、実を結ばないで終わることがないように気を付けましょう。どんな状況にあったとしても、クリスチャンである私たちは、イエス様を証しすることができるのです!奉仕の実、ささげものの実、証しの実、魂の実り…。価値ある実を結ぶ者となりましょう!
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