喜び勇んで通い始めた高知英和女子学校を、学費を払うことができずにわずか7カ月でやめざるを得なくなり、自らの非力を思い知らされ、菊栄は途方に暮れてしまいました。収入の道が閉ざされた上に、婦喜は病気で臥せってしまい、医者に診せることも薬を買うこともままならず、菊栄は考えに考えた末、一つの決断をします。それは花柳界(かりゅうかい)に身を投ずることでありました。
菊栄はたしなみとして三味線や踊りを少し身に着けていたこともあって、こうなれば生きていく道はここにしかないと思い定めたのでした。当時の花柳界に君臨していた得月楼に小春という知り合いがいたので、小春を頼りに雇ってくれるように頼みに行ったのでした。小春は驚き呆れて、菊栄の身の上話を聞いた上で菊栄の思い違いを諭しました。花柳界は菊栄の来るようなところではないと言って思いとどまらせようとしたのです。
しかし、菊栄は他に道がないと思い、引き下がらず女将さんに会わせてほしいと懇願するのです。仕方なく小春は、女将さんに菊栄を引き合わせました。すると、女将さんも武士の立ち居振る舞いが身についている菊栄を一目見てきっぱりと断ったのです。
仕方なく菊栄は、九反田にあった小さな料亭ののれんをくぐり働き口を求めたのでした。そこの女将は菊栄の父親にかつて診てもらったことがあって、恩義に感じて菊栄を雇う約束をしてくれたのです。菊栄は働き口の見つかったことで深く安堵しました。そのことを床についている婦喜に明るい声で話しをする一方で、婦喜はただ黙ってうなずきながら涙したのでした。
そんなときです。一人の友人が菊栄を訪ねて来たのです。菊栄はその友人に「明日から芸妓になる」と伝えたところ、友人は顔を引きつらせて「そんなバカなことがあるもんですか。芸妓になったら一生浮かぶ瀬はない!」と言って激しく菊栄を叱責したのです。本気で叱ってくれる友人の言葉によって、菊栄は自分が貧乏に負けまいと力むあまり、心がどこか頑なになりかけていたことにハッと目が覚めたのでした。そして、もう一度勉強をするために三味線や琴などを売って婦喜の薬を買い、勉強のための参考書などを買ったのでした。
この友人の真剣な言葉が菊栄の人生を大きく変えてくれたのでした。ここにも神様の見えない御手が大きく働いていたと思わざるを得ないのです。
(出典:武井優著『龍馬の姪・岡上菊栄の生涯』鳥影社出版、2003年)
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