キリストの祝福を無駄にしない
一生の間には、誰しも怪我(けが)をしたり、病気をしたりすることがある。誰しも好んでなる訳ではなく、できたら避けて通りたい。しかし、病気をしたり怪我をしたりしたら、もうそれと付き合っていくしかない。それらから逃げることはできない。
この時、注意しなければならないのは、“それらを最優先して付き合いすぎるな”ということである。必要最低限に付き合うべきであり、朝から晩まで、病気・怪我のことを中心に考えて、それらを中心にするいろんな治療に心遣いをしていたら、心身共に、それらに支配されてしまうからである。
むしろ、それらを必要最低限にして、今まで行ってきたことや、その他やるべきことを最優先して行うべきである。病気や怪我のためにやらねばならない治療やリハビリは、むしろ利用して、それらを昇華させて、日常生活に取り入れていった方がよいと思う。
例えば、今まで、漠然とした健康という目標で散歩していた人がいるなら、リハビリなどで歩かねばならなくなったときに、○○を癒やす、○○を治すという、はっきりした目標のために歩くことができる。
今まで満腹感があればよい、おいしかったらよいという食べ方をしてきた人は、それらに加えて、○○に効く、○○を良くするという、はっきりした目標に沿った食べ方ができる。
全て漫然としていた習慣に、方向性が与えられる。それも思いつきや気まぐれなどではなく、生命に関することであるから、かなり真面目な目標や態度、行為になり得る。
マルコの福音書の例で、イエスは彼女に・・・“病気にかからずすこやかでいなさい”と言われた。これは私たちの心掛けで、健やかでいることができるということではなかろうか。イエスの祝福を無駄にしないようにしたい。
「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい」(マルコの福音書5:34)
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