牧師の働きを通して経験したこと、教えられたこと・その3
立場の変化(信徒の立場から牧会者の立場)を通して経験したこと、教えられたこと
牧師となって、主の前における自分の生き方がより問われるようになった。そのため、自分が語ることと自分の態度、行いとが分離していないかとよく自問するようになった。そして次のような牧師の〝理想の姿〟を思い描き、これを目指して歩んできた。それは、共に働く者が、牧師が聖書の教えによって支配されていると見ること、また、周りの者が、牧師が聖書の御言葉の雰囲気の内に生活し、全性格が聖書によって形成され、行動がそれによって支配されていると見ること、さらに、接触する者が、牧師が神の御言葉を最高のものとしていることを認める、というものである。私自身はこの〝理想の姿〟にはほど遠いが、ただこの〝理想の姿〟を目指して進んでいきたいと切に願っている。
神学校で受けた訓練は、神への絶対的な服従と忠誠、また謙遜さを持つようにさせ、常に神を第一とし神の御心に沿って生きるようにさせるためのものであり、そのような訓練は牧師となるためには避けて通れないものであるということを先に述べた。それはまた、ビジネスマンの時代より、さらに徹底した神への従順や忠誠、また謙遜さを求めさせるものであるということも述べた。牧師の場合には、今度は神学校時代に受けた訓練の通りに実際に生きること、すなわちそれを実践することが求められた。私にとって牧会の現場で、訓練の通りに生きることはそう簡単なことではなかった。しかしそれを目指してここまで歩んできた。そして今思うことは、神学校で受けた訓練は本当に必要であったということである。この訓練がなければ、私は今まで牧師を続けてくることができなかったのではないかとさえ思うからである。
組織と仕え方の変化(より仕えるリーダーシップが求められる)を通して経験したこと、教えられたこと
教会は会社と違って、お互いの間に何らの拘束力をも持たない集団(共同体)である。それゆえ牧師は、より仕えるリーダーシップを発揮し、人々にとことん仕えていくこと、より自分を差し出していくことが求められる。また、牧師は誤解されることも多いが、それも甘んじて受けなければならない。これらのことは、頭では理解していても、実際にはなかなかできにくいことであり、また受け入れにくいことである。従ってそこで問われるのは、結局のところ自分がキリストの愛に本当の意味で生きているかどうか、キリストのように命をかけて仕えているかどうかということである。
関わる範囲と制約の変化(時間の制約や関わる制約のない働きに)を通して経験したこと、教えられたこと
ビジネスマンの時と比較して、牧師は肉体的な疲れというより、精神的な疲れや霊的な疲れを覚えることが多い。それは常に、目に見えない神の領域のことと目に見えるこの世の領域のことの、両方に関わる働きをしていることによると思われる。また牧師という明確な区切りのない、エンドレスの生活に慣れない時は、極度に疲れを覚えるということもあった。そして1カ月でもいい、まとまった休みを取りたいと思うことがしばしばあった。しかしそのような時にも、礼拝で兄弟姉妹と共に賛美し、祈り、また交わる中で元気をいただき、そのような思いから回復させられるということが多くあった。そのことを通して、神の家族として生きることの幸いをあらためて覚えさせられた。
同労者の変化(上司、同僚、部下などから妻)を通して経験したこと、教えられたこと
牧師となって、妻が私の同労者となった。現在は小さい教会ながら、私も妻も共に牧師としてこの教会に仕えている。牧師となるまでは、私はビジネスマン、妻は専業主婦であり、全く別々のことを行っていた。従って、お互いの働きについて語り合うことはあっても、同じ働きを一緒にするということはなかった。そのため2人の間で、働きについての考え方や進め方の違いが生じることはほとんどなかった。しかし、妻と一緒に牧師という働きをするようになって、私は妻との牧会に対する取り組み方の違いに悩むようになった。妻はよく祈って、主の御心に従って動いて行きたいという思いが強く、自分の方から計画を立てて動くのではなく、とにかく主からの何らかの働き掛けがあるまで待つという姿勢が強かった。一方私の方は、長年ビジネスマンとして働いた習性から完全には抜けきれておらず、自分の方から計画や目標を立てて動いていこうとする姿勢が強かった。そのために、私たちは初めの頃よく衝突をした。しかし、その衝突を通して私たちは互いに教えられ、現在は2人の中間的な姿勢のところに徐々に落ち着きつつあるように思う。御言葉に「夫婦は一心同体」とあるように、共に牧師という働きを通して、私たち夫婦をさらに一つのものにしようとされる主のお導きに感謝している。
以上が、教会の設立から6年が経った段階での、私が経験させられ、また教えられてきたことの簡単なまとめである。これからまたどのような経験をさせられ、教えられるのかは分からない。ただ、主により頼みつつ、自分を差し出しつつ、大いなる期待と希望とを持って前進していきたいと思う。
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(参考並びに引用資料)
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(その他の参考資料)
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・William Nix, 『Transforming Your Workplace For Christ』, Broadman & Holman Publishers, 1997
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・ヘンリー・シーセン(1961年)『組織神学』島田福安訳、聖書図書刊行会
・ジョージ・S・ヘンドリー(1996年)『聖霊論』一麦出版社
・ウィリアム・ポラード(2003年)『企業の全ては人に始まる』大西央士訳、ダイヤモンド社
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門谷晥一(かどたに・かんいち)
1943年生まれ。東京大学工学部大学院修士課程卒業。米国ミネソタ州立大学工学部大学院にてPh.D.(工学博士)取得。小松製作所研究本部首席技監(役員待遇理事)などを歴任。2006年、関西聖書学院本科卒業。神奈川県厚木市にて妻と共に自宅にて教会の開拓開始。アガペコミュニティーチャーチ牧師。著書に『ビジネスマンから牧師への祝福された道―今、見えてきた大切なこと―』(イーグレープ)。