この教会の暦では、3月3日に大斎のはじまりを迎え、この日はそれからおよそ2週間を経た日。マルコによる福音書2章の朗読の後、コロルク神父は英語による説教で、「断食を行い神に心を合わせて祈る時間をもつこの時期に、ウクライナで起きていることや、育ちも反応も違う人たちとの間で、日本語で『腹が立つ』というようにお腹の中に苦しいストレスを抱える時には、祈るように」と訴えた。
「私たちの祖国、私たちの家族の祖国、私たちの友人たちの祖国、私たちの先祖たちの祖国の中で、恐怖と苦しみ、そして破壊がやってくる。私たちはそうならないよう祈るけれども、ここにある兆しの一つ一つが示しているのは、悪いことが私たちの愛する国に、私たちの愛する人たちに、私たちの家族にやってくるということです。私たちはその中で生きなければなりません」とコロルク神父。
「私たちは遠く離れたところから、何をすべきか、どうやって彼らを支えるか、どうやって平和を支えるか、どうやって私たちの友人たちを支えるか、どうやって真実と正義を支えるかを判断しなければなりません」「私たちはそういう時に腹が立つのをこらえ、それと闘わなければならない」「私たちが腹の立つのをこらえる一つの方法は、祈りです」と語った。
また、「私は政治家ではありませんし、私は世界を変えられるような人でもありません。自分にもっと多くのことができたらいいのにと願う気持ちはたくさんあります。たぶん皆さんの中にもそういう方々がいらっしゃるでしょう」と続けた。
「どうか、少なくともこの悲劇の間は、少なくとも私たちのイースターの間は、私たちの生活の中に祈りを本当に真剣に取り入れることに、私たち自身を捧げましょう」と説教の終わりに語り、「人々はいつも『ウクライナのために祈りましょう。お互いのために祈りましょう』と言います。それはただ単に主がそれを聞いてくださるからというだけではなく、それは私たちの助けとなるからです」と語った。
この説教の直後に、まるでコロルク神父と会衆を試みるかのように、聖オルバン教会の前を右翼団体の街宣車が6台、約7分間にわたって大音声を上げ、静寂を破っては聖体礼儀の祈りの声を遮り、ゆっくりと通り過ぎていった。しかしそれにもめげずにその祈りの声は続いた。「幾度も幾度も平和のうちに主に祈りましょう」
主の祈りや領聖(カトリックでいう聖体拝領、プロテスタントでいう聖餐式ないし主の晩餐にあたる)などを経て聖体礼儀が終わる頃に、ウクライナ語と英語で「父と子と聖霊に栄光が代々にあるように・・・」という祈りが行われ、ウクライナ語による聖歌が響いた。
「これはすごく特別な歌ですけど」とコロルク神父は聖体礼儀の終了後に日本語で話した。「ボジェ・ヴェレキ・イェディニ」(全能の主なる神)と題するその歌には、コロルク神父によると、もともとは古い言葉で「ナシュ・ウクライヌ」(「私たちのウクライナ」という意味)と書かれていた。ウクライナがソ連統治下にあった時代に書かれた歌で、当時は教会の活動が禁止されていたため、ウクライナのための秘密の歌だったという。
ソ連崩壊後にウクライナが信教の自由を得てから、同じ意味の新しい言葉で「ナム・ウクライヌ」と書き替えられたその言葉は、クリミア半島がロシアの影響下にある今、新たに特別な意味を持つという。
この教会では、今は復活祭を前にした重要な断食の季節。しかし、コロルク神父は、「今年はウクライナのことで頭がいっぱいです。今年はロシア軍がウクライナに入ったり、親戚が心配だとか、こちらにいる人たちのことなどもあって。今年は違うんですね」と語った。「でも、こういうことはありがたいことかどうかわからないけれど、ウクライナの歴史の中で何回も違う国が入ってくることがあったから、その時の聖職者とか教会の上の方がどういう風に何を話したのかを勉強しました」「我々クリスチャンが注意をしなければいけないのは、平和と真実です」とコロルク神父は言う。
「みんなに分かって欲しいのは、ロシアの軍がウクライナに入っていること。みんながウクライナのことを考えて祈ってくれているのは本当にありがたいんです。でも、真実もクリスチャンとして大事にして、ロシアの言っていることをそのまま(鵜呑みにするん)じゃなくて、真実を調べ、ウクライナが被害者だということ(を知ってほしい)。ロシア人を嫌いにならないでください。ロシア人のために祈ってください。でも、みんな戦争やめようというのは簡単過ぎます」(続く:「(3)『日本人のみなさんには私たちのことをもっと理解して欲しい』」へ)