二人の娘の十二年
マルコの福音書5章21節~43節
[1]序
マルコ4章21~41節を味わった際、35節の「その日のこと」に注意しました。それを手掛かりに、34節までに見る主イエスの教えと35節以下の実地訓練が同じ日のことで、切り離し得ない密接な関係にある事実を心に刻みました。
今回の箇所でも、25節の「十二年の間長血をわずらっている女」、また42節の「十二歳にもなっていたからである」の十二年に注意し、二人の同じ十二年間に意を注ぎたいのです。この十二年間に、二人のそれぞれに何が起こり、どんな歩みをなして来たかマルコは描き、その二人が主イエスに出会っている事実をマルコは指し示します。
ヤイロと「ヤイロの娘」の記事(22~24、35~43節)の間に、主イエスに「娘よ」(34節)と呼びかけられた婦人の記事(25~34節)が割り込む形になっています。A(ヤイロの娘)、B(主イエスに娘と呼ばれた婦人)、A(再びヤイロの娘)とサンドイッチの形で、AとBの切り離し得ない密接な関係をマルコは巧みに伝えています。
[2]主イエスに「娘」と呼ばれた女性(25~34節)
(1)主イエスに出会う前十二年間
マルコは、25、26節において、この婦人が主イエスに出会う前の十二年間について、幾つか大切な情報をマルコらしい率直な描写で伝えています。
①健康状態
「十二年の間長血をわずらっていた」とあります。ある方によれば、月の障りの状態が月に数日ではなく、毎日、しかも十二年続いたことを意味するとあります。
また29節に見る、「すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた」とある癒やしの描写は、それ以前の十二年間がどのようなものであったか「言わず語らず」です。
②宗教的隔離(かくり)
当時のユダヤ社会では、この方のような長期間の出血を生命そのものが消滅していくものと考え、当人は宗教儀式にも参加が許されなかったと言われます。
27節の「彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった」との行為は、汚れた者として退けられるのを恐れざるを得ない彼女の立場を示しています。
ですから26節に見る彼女の状態は、表面的には違いますが、先に3~5節で見た実例と同じく悲惨なもの。
③経済的破綻(はたん)
医者であったと伝えられるルカ(コロサイ4章14節)の描写と比較しますと、マルコの特徴は明らかです。
「ときに、十二年の間長血をわずらった女がいた。だれにも直してもらえなかったこの女は」(ルカ8章43節)
「この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった」(マルコ5章26節)
医療従事者が礼拝出席者の三分の一以上になる、首里福音教会の礼拝で読むのは少し勇気がいると言っても大袈裟(おおげさ)ではない表現です。当時も医者に対する高い称賛(しょうさん)と厳しい評価の両面があったと伝えられています。私たちとしては、マルコの資質と特徴を再度確認したいのです。マルコは言いにくいことも率直に言える人、また目をそらさず現実も正面から見据え続ける人、聖霊ご自身の導きの中に神経の図太い、なかなかの人物として用いられていると見ます。
なお当時医者にかかれるのは、経済的に恵まれている人々のみだったと言われます。十年以上の出費に耐えられたとすれば、この婦人または家族はかなりの資産家であったと推察できます。
しかしこの婦人の立場からすれば、一定以上の資産がしだいしだいに減り続けて行く、それを見ながら何もできない現実なのです。これは、初めから資産などない者、例えば私などがちょっと測り得ない不安や苦しみであったと推測できます。
(2)主イエスとの出会い、婦人の信仰
マルコが婦人の過去12年間について記すのは、主イエスとの出会いの意味、彼女のキリスト信仰を描き、幾つかの点を確認するためです。
①「彼女は、イエスのことを耳にして」(27節)
この婦人の場合も、「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」(ローマ10章17節)。そして「宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことできるでしょう」(ローマ10章14節)なのです。
②「うしろから、イエスの着物にさわった。『お着物にさわることでもできれば、きっと直る』と考えていた」(27、28節)
ここに見るのは、自分自身だけを見るのではなく、主イエスを見上げひたすらな信頼をささげている事実であり、そこから生まれる行為をなす姿です。誰を見上げるか、誰に信頼をささげるのか。そうです、誰が相手か、大切なのはこの一点です。
③主イエスとの「公」にされる人格的な関係(33節)
「イエスは主」との旗を掲(かか)げるのです。そして一度掲げた旗を日々の生活で、また生涯の終わりまで掲げ続けるのです。新店開業ばかりでなく、店を開き続ける恵みを無駄にしない、それが課題です。
④主イエスの婦人に対することば(34節)
31節の弟子たちの誤解についても、ルカ8章45節はやわらげた表現、マタイの記事(マタイ9章18~26節)では言及していないのです。しかし何と言っても、中心は34節、主イエスの婦人に対することばです。
「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい」
[3]「ヤイロの娘」(21~24、35~43節)
(1)ヤイロの家庭、その十二年
①十二年前、ヤイロ夫妻に女の赤ちゃん誕生、その喜び。参照ルカ8章42節、「十二歳ぐらいのひとり娘」。会堂管理者として地域の指導者である家庭の光。
②十二歳。当時のユダヤでは、十二歳は結婚適齢期に達する年齢。私たちにとっての十八歳とか、二十歳の感じ。俗に言う番茶も出花、娘盛りにさしかかる年齢です。その娘を、「私の小さい娘」(23節)とヤイロは呼ぶのです。
③ヤイロの娘の病。直接にはどのようなものであったか記されていません。しかし娘の病がヤイロ家にどれほどの打撃であったか十分推測できます。また長血をわずらっていた方が慢性の病であったとしたら、ヤイロの娘の場合は、何か急性の病で、急激に病状が悪化したとも推察されます。
(2)ヤイロの信仰
①22節
主イエスの足もとにひれ伏す行為を通して示される、ヤイロのキリスト信仰。
②23節
22節に見る行為へ導く、ヤイロの心のうちなる確信の活写。
③35、36節
状況の変化のなかで、恐れる可能性があったかすでに恐れていたか、その状態の中で、主イエスのことばに支えられ、ヤイロは信じ続けるのです。
[4]結び
(1)主イエスの二人の娘に対することば
①長血をわずらっている女に対する、アフターケアと言うべきことば
「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい」(34節)
②ヤイロの娘について、これまたアフターケアというべきことば
「少女に食事をさせるように」。癒やしだけでなく食事も。
二人とも癒やされて、それで終わりではない。癒やされた者として、どのように生きるべきか、それが主イエスの関心の的なのです。罪ゆるされた罪人として、私たちがいかに日々生き生涯を全うさせて頂くか、これが大切なのです。
(2)では、ヤイロの娘の信仰は
長血をわずらっている女の信仰、またヤイロの信仰に私たちは意を注いできました。ではヤイロの娘の信仰は、どうなのでしょうか。主イエスの言動を通して、神の愛の徹底的、一方的な注ぎかけです。何しろヤイロの娘は死んでいるのですから。ここにこそ恵みの先手を見ます。これこそ、私のような者がキリスト信仰に加えられている源です。どんな方のためにも祈っていいのです。祈るべきなのです。中心は、主イエスの愛です。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。