銀行で金庫のドアを見て、その厚さに驚いたことがある。人様のお金を預かるわけだから、当然だろう。マタイの福音書6:21は、「あなたの宝のあるところに、あなたの心もある」と言っているが、われわれはその心が不安にならないように、宝の隠し場所を工夫する。一番手っ取り早いのが金庫だ。宝の代価(価格)が高ければ高いほど、金庫も高価な物を選ぶことになる。大きな立派な金庫を持っている人は、大抵は金持ちだ。人に見つからないように、絵画の裏の壁に金庫を隠している人もいる。私はかつて小型金庫を購入したが、中身が金庫代より少ないことに気付き、後悔したことがある。
当然のことながら、金庫にはお金・宝石・株券・権利書など、高価な物を入れる。ある人は有名な画家の絵を100億円で落札し、金庫にしまい込んでいるという話を聞いた。そんなことをしたら、絵の存在価値が無いのに等しい。ところで金庫の特徴は、長期安全保管で、何十年もしまい込まれたままの宝もある。
しかし金庫に保管されるものは、何年たっても変化せず、価値が維持できるものに限られる。すなわち無機物である。実は世界には金庫に納めることのできない宝がたくさんある。水がなければ人は生きていられない。でも水を金庫に保管したりしない。空気はもっと大切だ。空気がなければ、人は1~2分で死んでしまう。でも空気用の金庫は存在しない。
われわれ人間は、金庫の中に保管するものだけに価値があるという錯覚を抱く弱さがある。しかし人の命は、何にも増して高価だ。でも人を金庫に入れることなどしない。人を金庫に閉じ込めたら、数日で死んでしまう。人が厳重に保管される唯一の場所は刑務所である。でも金庫の中にある物にしか価値を見出せない人は、強盗に入ったとき、金庫の中身を奪うことにだけ心を奪われ、もっと高価な人の命を殺めてしまうという愚かな行動に出る。
われわれは新車をピカピカに磨く。高価な洋服は1度着ただけでクリーニングに出す。高級家具を人に触らせない人もいる。でももっと高価な人間を、われわれはいとも簡単にののしったり、ばかにしたり、時には傷つけたりする。最近は「人を殺す経験をしてみたい」とか「人が死んでいく時の苦しみを見るのが快感だ」という理由で平気で殺す人がいる。憂さ晴らしにホームレスの人を集団で殺す若者もいる。彼らの住居であるダンボールが、金庫に比べてあまりにも安っぽく見えるからだろう。人は15カラットのダイヤモンドより比較にならないほど高価なことを全く分かっていないのだ。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という疑問に、はっきり答えられる人が非常に少ない。ラジオの人生相談で、「どうして自殺をしてはいけないのか」という子どもの質問に対して「ぼくね、そんなことを考えるひまがあったら、もっと勉強に励みなさい」と相談員が答えるのを聞いて、がくぜんとしてしまった。人の命の価値が全く分かっていないのだ。
■ 富についての考察:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)(15)(16)(17)(18)(19)(20)(21)(22)(23)(24)(25)(26)(27)(28)(29)(30)(31)(32)
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木下和好(きのした・かずよし)
1946年、静岡県生まれ。文学博士。東京基督教大学、ゴードン・コーウェル、カリフォルニア大学院に学ぶ。英会話学校、英語圏留学センター経営。逐次・同時両方向通訳者、同時通訳セミナー講師。NHKラジオ・TV「Dr. Kinoshitaのおもしろ英語塾」教授。民放ラジオ番組「Dr. Kinoshitaの英語おもしろ豆辞典」担当。民放各局のTV番組にゲスト出演し、「Dr. Kinoshitaの究極英語習得法」を担当する。1991年1月「米国大統領朝食会」に招待される。雑誌等に英語関連記事を連載、著書20冊余り。