2月28日の米イスラエルの共同作戦に端を発する軍事衝突により、緊迫化したイランおよび中東情勢が連日の紙面に踊っている。強硬な軍事的態度で対峙(たいじ)する双方だが、今年初めに起きた、イラン国内での自国民に対する容赦ない弾圧と流血の惨事(病院データから数万人の市民が犠牲になったとの推計もある)については、決して見過ごすことができない。
これは、そのような強権的な体制に屈せず、文字通り自らの命を賭して自由を求めた一人の少女と、遺された母親が語る物語と証しである。
今年1月、イランの都市カラジでは、数千人の市民が政権に抗議するため、怒りと苦しみの窮状を訴えて通りに出た。「1月19日は本当に恐ろしい日でした。政府当局が、抗議する市民の『顔面を撃て』と治安部隊に命じた日でした」。母親のサミーラは、あの日の異常な空気をそう振り返る。
抗議活動をすれば、死の危険が伴うことが明白であったにもかかわらず、サミーラと16歳の一人娘セブダは、街頭に出る準備をしていた。「死の危険に直面するか、逮捕されるかのどちらかになることは分かっていました」。彼女たちは、当局の追跡を防ぐため、自分たちのスマートフォンを全て家に置いてきていた。体制に疑問を持つ者に当局は容赦しないのだ。
「誰かがやらなければならない」。わずか16歳の少女を駆り立てたものが、その燃えるような使命感だった。彼女は13歳の時にも、マフサ・アミニさん殺害※に対する「女性、生命、自由」の抗議デモに参加していた。「あのデモで多くの人が命を落としました。娘は私に『ママ、お願い。私と一緒に街に出て』と何度も懇願したのです。『命を落とした人たちのために、誰かが代わりに声を上げないといけないでしょ』と」。(※2022年9月ヒジャブ着用義務違反で拘束されて死亡し、女性権利抗議の象徴となった事件)
セブダは普段から母親にこう語っていたという。「ママ、いつか自由になる日が来たら、こんなに素晴らしいことはないわね……ママ……もし私に万が一のことがあったら、自由が訪れたその日に、私のことを思い出してね」。彼女の自由のための戦いは、単なる気まぐれやはやり廃りではなく、明確な覚悟の上でのことだったのだ。
自由への切実な願いと、同胞の死に対する熱い思い。命を賭してもこの国を変えなければならないという燃える決意は、決してゼブダを傍観者の安全地帯にとどめておかなかった。そしてあの日、2026年1月19日、自由を叫ぶ母娘は銃声と怒号、シュプレヒコールが飛び交う通りに、身を投げ出していったのである。(続く)
■ イランの宗教人口
イスラム 37・2%
キリスト教 1・5%
無宗教 22・2%
ユダヤ教 0・02%
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