1. はじめに
筆者は2023年10月、トルコのウルファ([ギ]エデッサ)やマルデン、ニサイビン(ニシビス)、ディヤルバクル、ミデヤット周辺にある東方教会の多くのスリアニー(シリア)正教会、そこでの礼拝や修道院を訪問し、信徒のガイドさんから施設を案内され、見聞を体験する機会に恵まれた。翌3月、イスタンブールにあるスリアニー正教会を訪問し、シリア語教師からシリア語を学ぶ個人レッスンを受け、礼拝にも参加する機会を得た。そこで購入した何冊かの書籍を和訳し、紹介したいと考えた。
ウルファ周辺では、紀元前からアラム語が話されていた。紀元3世紀ごろ、その周辺でアラム語から作られたシリア語(簡潔の意味のペシトあるいはペシッタ)で東方教会の信徒たちは信仰生活をしていた。信仰者にとって欠かせないものは聖書で、ヘブル語とギリシア語の聖書からシリア語に訳された。
シリア文字は22の子音と5つの母音があり、母音を付けて発音し、意味を理解する。また右から左へと書き読みする。同じセム語族には、ヘブル語、アラビア語、アッシリア語などがある。最初に作られたシリア語書体はエストランゲロ書体で、西シリア語書体、東シリア語書体の3種があり、本書は西シリア語書体で書いている(子音文字と母音記号は筆者が作成したもの)。
22の子音文字表を記した。読みは地域や話者により若干の違いがある。
5つの母音の記号と名称は、西シリア語書体(これらも各書体で異なる)。
2. シリア語とその歴史
ここから『シリアの人々』(2023年)より、シリア語の世界について一部を訳して紹介する。副題は「アナトリアに5500年住み続ける彼らの歴史、文化、信仰」。著者の Yakup さんは1933年にマルディンで生まれ育ち、ディヤルバクルで学び、イスタンブールに移住して学問を修めた企業人。
本書は次の目次で、アラム、シリア語、アラム世界について紹介している。
第1章 シリア人のルーツ
キリスト教の基礎、古代ローマ人と最初の教会、シリア人とキリストを受け入れた最初の国、アンティオキヤ教会、キリスト教の普及と313年のミラノ勅令、キリスト教思想における最初の意見の相違、主要なシリア教会から分離した教会、シリア正教会、メソポタミア文明、アラム人、アラム諸国
第2章
シリア人の歴史、シリア人の語源、シリア人がアッシリア人に由来する説について、「ジャコバイト(ヤコブ派)」の表現について、アンティオキア・シリア正教総主教庁、今日の離散するシリア正教徒の分布ほか
第3章
シリアの文化と芸術、シリア語、シリア文字、シリア文学、シリアの作家、シリア語の翻訳と著作など、シリアの学問(哲学、医学、科学など)、シリア神学哲学アカデミー、シリア教育センターとシリア語学校(学校は教会から始まった)、1879年に40人の殉教者が起きたことについて、シリアの建築、ディヤルバクルにある修道院における印刷技術、シリアの音楽、シリア料理など
第4章
イスラム教とシリア人民、イスラム世界に離散するシリア人民の歴史(カリフ時代のシリア人、セルジュク朝時代のシリア人)
以降の章は割愛した。
各章の中から抜粋して紹介する。
1)シリア人と名前のルーツ
「シリア人」はアッシリア人に由来する説があり、シリア人の先祖は紀元前の遊牧社会のアラム人で、シリア北部とメソポタミアに定住して王国を築き、アルファベットや言語、文化面での痕跡が見られる。聖書の中にもアラム語が登場し、イエスや彼を取り囲む人々、初期の弟子たちはアラム語を話したとも伝えられている。
今日話されているシリア語の原語は、アラム語を話していたアナトリア東部(今日のトルコ東南のウルファの地域)の方言で、彼らは最初にキリストの教えを受け入れた国民だった。最初の教会はアンテオケ、今日のアンタキヤに設立された。アラム人によって「シリア」という名前を使ったわけは、異教徒であり続ける他のアラム人と区別するためであった。
2)キリスト教の基礎
紀元前の昔、この地域には偶像神崇拝者が多く、その時代に唯一の神への信仰を擁護したのは預言者アブラハムだった。彼は偶像神を捨てて、一神教徒になった信仰者で、次に預言者モーセがいた。このモーセによって神の言葉の聖典を受け取り、次に預言者ダビデ王によって詩篇が作られた。続いて新約時代に入り、イエスが約3年の間、神の言葉を語り、彼の弟子たちによって福音が書かれたのが新約聖書。それにはイエスの生涯、力、奇跡、言葉、教え、苦しみなどが描かれている。
続いて、非キリスト教文書を見ると、紀元37~100年の間生きたユダヤ人のヨセフスは、イエスのことを書いた。紀元111~113年、プリニウスはトラヤヌス帝に送った手紙に、キリスト教徒はローマの神々を信じないと書き、歴史家タキトゥス(55~120)は116年に『年代記』の中で、キリスト教徒への迫害について書いた。
3)聖書
福音書はヘブライ語とアラム語で書かれ、後にギリシャ語に翻訳された。今日、旧約聖書と福音書の一部はアラム語で書かれていて、そうなったわけは、紀元前7世紀から6世紀にかけてアラム語は西アジアの多くの民族の共通言語だった。やがてアラム語話者が少なくなってカルデア語が取って代わったものの、ペルシア帝国後期にも公用語であった。
以上、簡単に紹介した。
ここで筆者による大まかなアルファベット文字の流れを書いてみた。聖書考古学資料館の「聖書の世界」(発行者:津村俊夫、2001年11月25日発行)を参考にした。
(続く)
※ 参考文献
『古代シリア語の世界』(イーグレープ、2023年)
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
『景教碑の風景』(シリーズ「ふるさと春日井学」3、三恵社、2022年)
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