シリアニー正教会の『5500年の証人・シリア人』の一部を訳し、彼らの歩みを紹介する。
旧約聖書の創世記に出るノアの長男セムは、シリア人の先祖だった。シリア人はセム族に属し、メソポタミアに生息している。彼らは5500年も生き続け、過去2千年間シリア人と呼ばれてきた。彼らは宗教や文化を失うことなく生き延びてきた。シリア人の先祖であるアラム人は、キリスト教世界の最初の教会の一つ、使徒たちが建てたアンテオケ教会の時代にオスロへネ王国として始まった。その中心がギリシャ語でエデッサ、シリア語でウルファという地。彼らは異教徒だったが、王から民衆のほとんどがイエスの教えを信じてキリスト者になり、キリスト教王国となった。彼らはシリア人と名前を変え、自分たちをそのように呼んだ。言語はスリアニー(シリア語)。その地でシリア語のアルファベットを作り、その地域の言語とした。
紀元107年、マル・イグナティウス・ヌラーニがローマに宛てた手紙に、この教会は「アンテオケのシリア教会」と書いている。アラムの王V・アグバルは、キリストを信じた後、メソポタミアの諸地域に宣教師を派遣した。それらの地域では共通言語が話されていたことから、宣教師たちはその使命を達成し、キリスト教が広まった。
アラム語はシリア人の言語で、欧州ではシリア語が研究対象になっている。フランスの大学ではシリア語が授業科目となり、ルーベンス・デュバルは約12年間科長を務めた。今日フランスのイナルコにあるシリア語研究所ではシリア語・アラム語が教えられ、さらにドイツ、英国、米国でもシリア語が教えられている。(筆者がイスタンブールのスリアニー教会で購入した数冊のシリア語教本には、シリア語がドイツ語とイタリア語で書かれている。教本が欧州の地でシリア正教会の信徒育成書として発行されていることがうなずける)
過去にシリアの科学者たちは、ウルファの大学で古代ギリシャ哲学をシリア語に訳し、次いでアラビア語に訳した。欧州には十字軍の遠征によってこれらの作品が知られ、ラテン語に訳された。
最近のシリア正教徒の人口は約450万人。そのうち300万人は南インドのケララ州に住む。移民のせいで減少したが、トルコには約2万5千人が住むといわれる。トルコ南東部のニサイビン、マルディン、ミデヤットなどには多くの修道院やシリアニー正教会がある。若者やその家族らがイスタンブールに移住すると、イスタンブールシリアニー正教会が生まれた。
シリア正教会はシリアのダマスカスにある総主教によって指導され、そこをアンテオケアと全東方教会の総主教としている。
シリア語について
シリア語は、セム語族に属するアラム語のエデッサ方言。マタイの福音書とダニエル書にはアラム語が書かれている。世界最古の言語の一つ。創世記31章47節は紀元前1750年ごろ、この言語で書かれた。その聖句「ラバンはそれをエガル・サハドタと名づけたが・・・」(新改訳2017)をシリア語で書いてみた。
アフガニスタンで発見された2つの文字はアラム語で、社会学者のマルセル・コーエン氏によると、言語の多くはアラム語から派生したという。中央アジアのウズベキスタンで発見された文では「アラム語は22字で構成されており、二重発音される6文字の『b g d k f t』が含まれ、感情や心の中のことを表現できる豊かで明晰な言語」だという。シリア語はイラクやメソポタミアにあったシリアのコミュニティーで話され、やがてペルシア帝国内外に浸透して広がり、アラビア半島やエジプト、小アジアにも拡大していき、アラビア語が盛んになる7世紀から8世紀ごろまで普及していた。
初代教会の信徒たちはアラム語を話した。6世紀の初めにシリア語は東シリア語と西シリア語の2つの方言に分かれ、東シリア語はメソポタミアやイラクで話され、西シリア語はシリアで使われた。両者に大きな差異はなく、子音文字の形や母音記号が違う。最初に作られたシリア文字はエストランゲロ書体で、丸みを帯びた形態が特徴。最初の文法書は7世紀末ごろに作られている。古代シリア語聖書を、簡潔の意味のペシト(ペシッタ)版という。
筆者が描いた絵でシリア語を紹介する(文字と母音記号は筆者の作)。
(続く)
※ 参考文献
『古代シリア語の世界』(イーグレープ、2023年)
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
『景教碑の風景』(シリーズ「ふるさと春日井学」3、三恵社、2022年)
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