1. 世を愛する
世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。(1ヨハネ2:15)
この聖書箇所を解き明かすのに必要なのは、イエスが最後の晩餐で語った次の言葉です。
「この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何もすることはできません」(ヨハネ14:30)
世を愛してはならないのは、世を支配しているのがサタンであり、世を愛すると間接的にサタンを愛することになるからです。そして世にあるものは、サタンが世を支配するために用意し、人を誘惑するために用いてきたものですから、愛してはならないということです。
私たちの罪の身代わりとして死んでくださったイエスを愛するクリスチャンは、数多くいます。しかし、天の御父を愛する意識を持つ人は、艱難(かんなん)辛苦を信仰で乗り越えた人だと思います。なぜなら、艱難辛苦の中でこそ、神の犠牲の愛を体験することができ、イエスを世に遣わした御父の犠牲の愛を知ることになるからです。
快楽のために世を愛している者は、神の犠牲の愛を知ることがなく、御父を愛せません。
2. 世にあるもの
すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。(1ヨハネ2:16)
人を不義から救い出すために、天の御父はひとり子キリストを世に送りましたが、「すべての世にあるもの」は「御父から出たものではなく、この世(を支配するサタン)から出たもの」と聖書は語ります。
世にあるものを愛するとは「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢など」を愛することです。
① 肉の欲とは、食欲や性欲、支配欲、その他の動物的な快楽に関する欲。② 目の欲とは、見て満足する美的欲や、自分の見た目の良さや美しさ、その他の自己美に関する欲。③ 暮らし向きの自慢とは、地位や財産、名誉名声、その他の自己所有物に関する欲のことです。
聖書は、あなたがこれらの世にあるものを愛しているなら、神である御父を愛する愛はなく、結果的にサタンを愛し、サタンと共に滅びることになると言っています。
3. 御心を行う者
世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます。(1ヨハネ2:17)
イエスはパウロに現れたとき、彼を異邦人の救いのために遣わすと言いました。
「わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦(ゆる)しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである」(使徒26:17、18)
イエスを救い主キリストと信じる者は、聖霊により新生し、神の御心を行う者へと変えられます。世と世の欲を愛していた闇の生活を悔い改め、御父を愛する光に移され、神の御国を目指して生活します。光である神キリストと御父を愛する愛で御国を相続する人生を生き、いつまでも生きることになるのです。
キリスト者たちは御心を行う者となり、闇であるサタンの支配する世は滅び去ります。
まとめ
世にあるものは、サタンが世を支配するために用意し、人を誘惑するために用いてきたものです。ですから、世を愛してはなりません。世にあるものとは、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などです。これらを愛するなら、神である御父への愛はなく、結果的にサタンを愛することになります。
御父と御子を愛することで御心を行う者とされるなら、闇の支配から光の支配に、死から命に移され、神の御国の共同相続人とされ、永遠に生き永らえます。
このように、神の愛に生きる人は、信仰生活において世と世の欲が滅び去り、サタンの支配が過ぎ去っていきます。不幸になる生活から、幸福になる生活に変化していくのです。
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