現代は、喜びや楽しみ、幸せを感じることが難しい時代なのかもしれません。しかし、聖書が私たちに伝えているキリストの福音は、時代や状況がどうであっても、喜び楽しみ、主を褒めたたえることのできる幸いがあると語っています。
今回から、ヨハネの手紙第一に入ります。この手紙を書いたヨハネは、12使徒のうちの一人です。「イエスが愛された弟子」(ヨハネ21:20)とあるように、イエス様に気に入られた弟子でした。弟子の中でも一番年が若かった(10代)こともあって、従順だったのでしょう。
12弟子の中で、ヨハネは最も長生きをし、最後はパトモス島に島流しにされました。そこでヨハネの黙示録を書いた後、天に召されました(90代)。
1. いのちのことば
初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、――このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。――(1ヨハネ1:1、2)
使徒ヨハネは、福音書も黙示録もそうであるように、手紙においても神の霊性と神の全知全能性を忠実に書き記しています。
私たちがイエス・キリストを信じて生涯を全うし、ついにキリストのおられる天の御国に行くとき、永遠の財産として残るものは、霊的な悟りと人格、天に積んだ宝だけであることを知ります。
つまり永遠のいのちにおいては、キリストのいのちのことばを知ることがとても重要なのです。
2. 私たちの交わり
私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。(1ヨハネ1:3)
イエスをキリストと信じる人々のうちに、キリストは住んでくださいます。私たちが交わりを持つなら、御父と御子の愛が互いの協力関係に働き、神の栄光と力を実体験できます。
教会運営には神の御力が働きます。経済においても人間関係においても、奇跡の御業が現されます。教会における交わりの中に天の御国の力が働き、そこには奇跡が伴います。いのちのことばによって働く神の力です。
3. 全き喜び
私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。(1ヨハネ1:4)
全き喜びとは、永遠のいのちに至る希望からくる喜びです。異邦人である私たちにも聖霊が与えられました。「神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになった」(使徒11:18)とあるとおりです。
聖霊による、永遠のいのちに至る悔い改めが、私たちに全き喜びを与えてくれるのです。
まとめ
ヨハネが私たちに伝えたかったのは、御父と御子との実際的な交わりの体験であり、いのちのことば、つまりキリストご自身との実体験なのです。
クリスチャンが交わりを持つなら、御父と御子の愛が互いの協力関係に働き、神の栄光と力を実体験できます。教会における交わりの中に天の御国の力が働き、神キリストとの交わりの実体験が現されます。
全ての霊的体験は、永遠のいのちが私たちにとって確実な希望となり、私たちの喜びが全きものとなるために与えられているのです。
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