「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネの福音書3:16)
大都会に住むある裕福な父親が、息子を連れて田舎へ旅をしました。父親は息子に、貧しい生活をしている人々を見せたいと思ったのです。
田舎の農場で3日間過ごした帰り道、父親は息子に言いました。「貧しい人の生活がどんなものか、分かっただろう」
「うん、お父さん。よく分かったよ」。「どんなふうに分かったか言ってごらん」
「うちには犬が1匹しかいないのに、あの人たちは4匹も犬を飼っているし、馬や牛も飼っている。うちには庭に10メートルほどのプールがあるけど、あの人たちにはどこまでも続く小川がある。うちには庭に4つの照明灯があって夜、庭を照らすけれど、あの人たちの庭は夜、満点の星が照らしている。うちの庭はテニスコートが取れるほどの広さがあるけど、あの人たちの庭はゴルフ場ができるほどの広さがある。うちでは食べ物は全部買わないといけないのに、あの人たちは全部自分たちで作っている。うちでは隣近所の人と何かを一緒にすることはめったにないのに、あの人たちは毎日隣近所の人たちと楽しそうに助け合っている。お父さん、うちの生活がいかに貧しい生活かよく分かったよ」
一生懸命働くことは素晴らしいことです。人との競争に勝つことも時には必要でしょう。しかし、家族のために頑張ったつもりなのに家族がバラバラになってしまったら、お金や物をたくさん集めても一緒に喜んだり一緒に泣いてくれる人がいなければ、寂しい人生ではないでしょうか。幸せを追求するための忙しさが、幸せを感じる心のゆとりを奪っているとすれば、本末転倒でしょう。
「本当の幸せ、本物の豊かさとは何か」を教える一つの物語を紹介しましょう。オー・ヘンリー作『賢者の贈り物』です。
明日はクリスマスです。妻のデラは、夫のジムに贈るプレゼントのことで頭がいっぱいでした。コツコツと貯めた小銭を数えてみると、1ドル87セント。それが全部でした。
やがてデラは一大決心をして家を出ました。彼女は自分の豊かな髪の毛を売ろうとしたのです。20ドル。それが髪の毛の代金でした。
それからデラは町中の店を捜し歩き、プラチナの鎖を買いました。その鎖は、夫のジムが大切にしている銀の懐中時計にピッタリと似合うものでした。代金は21ドル。ギリギリで買えました。
夕方、夫のジムはいつもの時間に帰ってきました。ドアを開けて妻のデラの頭を見て、ジムは言葉を失ってしまいます。実は、ジムもデラのためにプレゼントを買っていたのです。それは、妻のデラの豊かな髪を飾るための、宝石で縁取ったべっこうのくしのセットでした。
しかも、ジムはそれを買うために、自分の大切な銀の懐中時計を売っていたのです。お互いに相手を喜ばせようとして、自分の一番大切にしているものを失ったのです。
作者のオー・ヘンリーは、この作品の結びのところで次のように述べています。「しかし最後に一言、今日の愚者たちにこう言っておこう。贈り物をする全ての人たちの中でもこの2人が最も賢かったと。贈り物をし、贈り物を受け取る全ての人々の中で、彼らのような人たちこそが最も賢いのである。世界中のどこででも、彼らが一番賢いのだ。彼らこそ東の博士たちである」
いつ思い浮かべても、美しい感動的な物語です。相手のことだけを思い浮かべ、どうすれば喜んでもらえるかを考えながらプレゼントを選ぶ。この物語はクリスマスの精神をよく表しています。
クリスマスの精神とは愛です。そして本当の愛の心とは、惜しみなく与える心です。主なる神は私たちを愛された故に、そのひとり子イエス・キリストを救い主として与えてくださったのです。
神の愛を知り、その愛を受け取って人々の間で実行できる人生こそ本当に豊かな人生です。
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