「バプテスマのヨハネから遣わされてまいりました。『おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも私たちはなおほかの方を待つべきでしょうか』とヨハネが申しております。」ちょうどそのころ、イエスは、多くの人々を病気と苦しみと悪霊からいやし、また多くの盲人を見えるようにされた。そして、答えてこう言われた。「あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。・・・だれでもわたしにつまずかない者は幸いです。」(ルカ7:20~23)
神様に祈り、神様の導き、恵みを頂きながら前進することは何と素晴らしいことでしょうか! 人間の考えとは違う祝福、恵みが神様から与えられますから感謝です。
今日の聖書箇所で、救い主イエスは人々に福音を語り、また、人々を癒やし、悪霊から解放し、救いを与えていました。そんな中、洗礼のヨハネから2人の弟子が遣わされてきます。彼は舌鋒鋭く、時の権威者に対しても容赦なく対峙(たいじ)したため、捕らえられてしまい、命が明日をも知れぬ状況に置かれていました。
そこで彼は、一つのことを確かめたいという思いにかられたのです。彼は自分の後に「メシヤ(救い主)が来る」と預言していました。彼の直後にものすごい働きを始めたイエス様を見て、イエスが来るべき救い主かどうかを確かめておきたかったのです。
人々が抱くメシヤのイメージは、政権を倒すリーダーでしたが、イエス様の言動は期待していたメシヤの姿と異なっていたので、どうしても本人に確かめたかったのです。そこで、弟子たちを通して端的に「救い主ですか」と尋ねたのです。
イエス様は弟子たちに「今、私がしていることを見てごらんなさい。それをヨハネに報告しなさい」と不思議な言い方をされました。それは、旧約の中にメシヤの業として癒やしや悪霊からの解放が預言されていたからです。これを見たら救い主が来たしるしだとヨハネなら分かるだろう、そのようにイエスは語られたのです。
イエス様がおられる所には神の国が実現するのですから、癒やし、解放の御業は決して特別なことではなく、当然のごとく現れます。そのことを3つのことで確認します。
1. あらゆる病気の人々を癒やしておられる主!
イエス様は聖人のように、ありがたい教えや美しい道徳を説かれたというイメージをお持ちでしょうか。もちろんイエス様はメッセージもされましたが、注目すべきは、イエス様はその場におられるだけで、弱っている人を次々と癒やし、悪霊の支配から解放し、当たり前のように人々を救われた真の救い主、癒やし主であるということです。イエス様には聖霊の力があふれており、そこには神の国が存在していたのです。
2. 主キリストの癒やしの御業の重要性!
イエス様の癒やしは単に人々の興味、関心を引くような見世物ではなく、そこには重要な意味がありました。それは、ヨハネへの伝言でも分かるように、癒やしは、その業を通してイエス様が本物の癒やし主、救い主であると分かるようになる暗号代わりなのです。イエス様は癒やし主だからこそ、当たり前のように癒やしの力が現れます。このイエス様が私たちと共にいてくださることを忘れてはならないのです。
3. 癒やし主キリストとつながることの大切さ!
私たちの集中力や熱心さが必要なわけではありません。大切なのは、真の癒やし主、救い主であるイエス様にしっかりとつながることです。
完璧な癒やし主である主イエス・キリストとつながれば、私たちは癒やされていくのです。信仰を持ってつながるときに、神の霊的な力が働いて、私たちの悩みや病気、体調が癒やされます。そのことを共に体験しようではありませんか。本物の救い主の奇跡を体験し、今日も恵まれましょう!
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