去る8月末、高齢の父を天国に送りました。3年ほど前に母が召されましたので、両親に福音を伝える40年にわたる長い旅が、ようやく終わったことになります。
何としても福音を伝えたい
私はかつて聖書や教会に全くなじみがありませんでしたが、幸いなことに、不思議な導きから聖書に出会い、信仰を持つことができました。それまで30年近くも、自らの知性だけを頼っていましたので、聖書の世界観に触れた時の衝撃は、非常に大きなものでした。私は、キリストを知り、神様の御旨に沿って生きることを、熱心に求めるようになりました。
人知を超えた神様の愛に触れると、愛する人々に福音を伝えたいと願うのは、当然のことです。私にとって、妻、子どもたち、そして両親に福音を伝えることは、最優先の課題になりました。
簡単なことではない
私の育った家庭は、核家族化の先駆けとして、家族以外とのつながりは少なく、両親との強い絆に支えられていました。絆の存在はありがたいのですが、活動的な私にとっては、それがかえって負担となり、思春期から福音を知るまで、あえて両親との距離を取っていたように思います。
地理的にも遠い場所に住み、忙しい仕事に就き、結婚して家族が増え、両親に会うのは、年に1~2回の帰省時だけになっていました。そのような中、彼らに福音を伝える道を探し始めたのです。
さまざまなことを通し、両親との距離を縮めていきましたが、聖書の世界からかけ離れた彼らに福音を伝えるのは、簡単なことではありませんでした。約40年の道のりは、失敗と挫折の連続であり、自分の足りなさを教えられることばかりでした。
知的な理解を伝えることは難しい
福音とは、キリスト(救い主)が私たちの罪のために死んだこと、そして墓に葬られたこと、そして、3日目によみがえって、今も生きておられることと聖書には書いてあります。
これは、歴史の中に記される事実を根拠にしていますが、この約2千年前の出来事を熱心に伝えても、彼らにとっては、しょせん外国の宗教に残る伝説に過ぎません。
かえって私の熱心さが不安を与えてしまう結果になりました。自分の証しではらちが明かないので、読みやすい信仰書を何冊も送りましたが、効果はほとんどありませんでした。
私は、知的な聖書理解が両親を信仰に導くと考えていましたが、彼らに福音を伝える歩みは、全く異なる道をたどることになりました。
神様の恵みを無条件に受け取る母
神様は、私の娘に信仰を与え、関西の大学に通うように導いてくださいました。彼女は日曜日に両親を訪ね、母と一緒に近隣の教会に通うようになりました。母にとっては、孫娘と出かける楽しい時間になったと思います。娘や教会の人たちに触れ、母の心は柔らかくなっていきました。
その後、娘が卒業して関西を離れてから、私が頻繁に帰省し、母と教会に通いました。母は、父や周囲への気遣いから、信仰告白や洗礼を拒否していましたが、年齢を重ね、弱さを覚える中、神様からの一方的な恵みを受け取れるようになりました。自ら語ることはありませんでしたが、母の変化は、傍で寄り添う私にはよく分かりました。
やがて、召されようとする時、私が母の手を取り、人生への感謝と神様に全てを委ねる祈りをささげ終わったとき、母は、まるで神様に信仰を告白するように旅立っていきました。
寄り添ってくださるのは、神様ご自身
母が召された後、さらに高齢で認知症の進んだ父が残されました。父は、既に一人暮らしのできない状況でしたので、私が父と一緒に住むようになりました。
福祉サービスや家族の助けを得ながら、急速に弱さを重ねる父と祈りを積む毎日が始まりました。認知症のおかげで、父は共に祈ることを受け入れてくれました。私のうちにおられるキリストの霊(聖霊)が、父に寄り添ってくださいました。
約3年後、100歳を前にして、父も召されていきました。夜間の介護に不安を抱えていた私は、最期まで同居を続けることができませんでしたが、神様は最期まで寄り添ってくださったと信じています。
結局は、神様に委ねることが全て
私がかつて信仰を持ったとき、やがて家族も救われ、祈りのあふれるクリスチャンホームになることを夢見ていました。
しかし長年、心を込めて寄り添ったつもりですが、人が寄り添えるのは、神様がその機会と力を与えてくださった範囲に過ぎません。結局は、人知を超えた大きな愛の源である神様を信頼し、全てを委ねることへと導かれていきました。
両親に対しても、神様ご自身が、私の知らないところで最善の方法によって福音を解き明かし、天国に導いてくださったと思っています。
◇