今回は、6章1~14節を読みます。ここでは、「カナの婚礼」「役人の息子の癒やし」「ベトザタの池での病者の癒やし」に続く、ヨハネ福音書における4番目のしるしの記事である「5つのパンと2匹の魚(5千人の供食)」のことが伝えられています。けれどもこの「5つのパンと2匹の魚」のお話は、4つの福音書全てに記されているものです。
共観福音書では、弟子たちの召命については、ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、マタイのものが伝えられています。けれどもヨハネ福音書では、ペトロ、アンデレ、愛弟子(ヨハネであるともいわれる)、フィリポ、ナタナエル(バルトロマイの別名の可能性がある)の記事が伝えられています(第3回を参照)。
ヨハネ福音書では、召命後の弟子たちのことについては、これまでは伝えられていませんでしたが、6章においては、弟子たちに関するさまざまなことが伝えられています。6章について執筆する今回以後は、そこにも着目していきたいと思います。
ガリラヤに帰る
6:1 その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。2 大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。3 イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。4 ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。
5章で、エルサレムのベトザタの池のほとりでの言動が伝えられたイエス様ですが、6章ではガリラヤに帰ってからのことが伝えられています。大勢の群衆がイエス様の後を追ったとありますが、その数はおよそ5千人でした(10節)。
イエス様は山に登られ、そこに群衆もついて行きました。聖書においては、出エジプト記におけるシナイ山(ホレブ山はその別名とされる)のように、山は神聖な所とされています。人々は、神聖な場所である山の上へと行ったのです。
そしてそれは、「過越祭が近づいていた」時のことでした。5千人にも上る人たちが集まっていたというのも、過越祭のような大きな祭りを連想させますが、このお話は、ガリラヤのある山上における過越祭を意味しているのだと思われます。過越祭においては、小羊をほふりそこにおいて共に食事をしますが、ここでも人々は草の上に座って共に食事をしているのです(10節)。
フィリポを試す
5 イエスは目を上げ、大勢の群衆がご自分の方へ来るのを見て、フィリポに言われた。「どこでパンを買って来て、この人たちに食べさせようか。」 6 こう言ったのはフィリポを試みるためであって、ご自分では何をしようとしているか知っておられたのである。7 フィリポは、「めいめいが少しずつ食べたとしても、二百デナリオンのパンでは足りないでしょう」と答えた。
フィリポについては、ヨハネ福音書にのみ召命の記事があり、またその言動が伝えられています。このため、フィリポについては後のヨハネ共同体における中心的人物であるともいわれています。また、使徒言行録8章4節以下に伝えられている、サマリア伝道を行ったフィリポと同一であるという説もあり(第11回参照)、ヨハネ共同体がサマリア伝道を行っていたことを勘案すると、彼が初代教会の指導者であった可能性は否めません。
その意味では、同じように12弟子の1人であって、初代教会の指導者となったペトロと似るところがフィリポにはあります。しかし、ペトロがイエス様の生前に不信仰なことを繰り返していたのと同じように、ヨハネ福音書の伝えるフィリポにもあまりいいところがありません。
ここでは、イエス様が大勢の群衆を見て、「どこでパンを買って来て、この人たちに食べさせようか」とフィリポに言われますが、彼は目の前の状況にとらわれていて、イエス様がその人たちに対して行うしるしを想定することができなかったのです。
フィリポは、「めいめいが少しずつ食べたとしても、二百デナリオンのパンでは足りないでしょう」と答えます。当時の1デナリオンは労働者の1日の日当でした。私は1日の日当を、現在の日本円に換算すると5千円であると考えています。だとすると200デナリオンはざっと100万円になりますから、5千人1人当たりのパン代は200円ということになります。
「ここに100万円あっても、これだけの人を養うには足りません」というフィリポのこの言葉は、至極当然なものではあったでしょう。しかしフィリポには、新たな時代の過越祭を主宰するイエス様がなされる、その御業を予測することができなかったのです。
イエス様のところに連れて行くアンデレ
8 弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。9 「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、それが何になりましょう。」 10 イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。それで、人々は座った。その数はおよそ五千人であった。
アンデレについては、第3回で既にお伝えしていますが、弟であるペトロをイエス様のところに連れていったのも彼でしたし、どうもこの人には「他者をイエス様のところにお連れする」という特性があったようです。ここでもその役割を遺憾なく発揮しています。
5つのパンと2匹の魚を持った少年を、イエス様のところに連れて行っているのです。私は、「他者をイエス様のところにお連れする」というこのアンデレの特性は、やはり教会の指導者になったとされている彼の生涯にわたるものであったのではないかと考えています。
また、このパンについては、他の福音書では「パン」とだけ伝えられているのですが、ヨハネ福音書では「大麦のパン」と伝えられています。大麦のパンはより質素なものであり、ガリラヤの住民たちが質素な生活をしていたことをうかがい知ることができます。
そしてヨハネ福音書のみが、5つのパンと2匹の魚を持っていたのが少年であったと伝えています。いと小さき少年であっても、イエス様に持ち物を差し出すときに祝福していただけると教えているのも、ヨハネ福音書であるということです。
モーセとマナ
11 そこで、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。12 人々が十分食べたとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、余ったパン切れを集めなさい」と言われた。13 集めると、人々が大麦のパン五つを食べて、なお余ったパン切れで、十二の籠(かご)がいっぱいになった。14 人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来るべき預言者である」と言った。
少年の持っていた5つの大麦のパンと2匹の魚は、イエス様によって感謝の祈りがささげられた後に、人々に分け与えられます。感謝の祈りがささげられたと伝えているのも、ヨハネ福音書だけです。この感謝の祈りは、共観福音書における、最後の晩餐での祈りと共通しています。
最後の晩餐は、新しい過越の食事を意味しており、この祈りがここでなされたこともまた、この山でのイエス様による供食が、新しい過越祭であることを示していると思います。つまり5千人の供食とは、新しい出エジプトの出来事でもあるのです。
この新しい出エジプトという観点でいうならば、ここでの食事は、出エジプト記16章に伝えられるマナのお話とも共通していると見ることができます。神様は、エジプトを脱出したイスラエルの民に、天からマナを与えられました。イエス様も、ガリラヤの人々にパンをお与えになったのです。
マナは、安息日の前日以外は残すことができませんでした。モーセによって、「誰もそれを翌朝まで残さないように」と命じられているのです(出エジプト記16章19節)。ここでイエス様によって「少しも無駄にならないように、余ったパン切れを集めなさい」と命じられているのも、モーセを通しての神様からの言葉と結び付けられているのでしょう(G・R・オディ著『NIB新約聖書注解5 ヨハネによる福音書』138ページ)。
共観福音書ではこのお話はここで終わりますが、ヨハネ福音書では、この件に端を発した議論がなされていくことが、この後に伝えられていきます。(続く)
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