今回は、4章43~54節を読みます。
「自分の故郷」とはどこを指しているか
43 二日後、イエスはそこを出発して、ガリラヤへ行かれた。44 イエスご自身は、「預言者は、自分の故郷では敬われないものだ」と証言されたことがある。45 ガリラヤにお着きになると、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した。彼らも祭りに行ったので、その時エルサレムでイエスがなさったことをすべて、見ていたからである。
前回お伝えしたサマリア滞在の後、イエス様はガリラヤに行かれます。44節に「預言者は、自分の故郷では敬われないものだ」というイエス様の言葉がありますが、イエス様の故郷をガリラヤとした場合、45節ではそれに反するように、ガリラヤの人たちはイエス様を歓迎します。そうしますと、44節と45節に矛盾が生じてしまいます。
ルカ福音書では、イエス様がお育ちになったナザレで、イエス様が「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」(4章24節)と言われたことが伝えられており、この場合の「自分の故郷」とは、地方でいえばガリラヤであり、町でいえばナザレでしょう。そして実際にルカ福音書は、ナザレの人々がイエス様を町の外へ追い出し、山の崖から突き落とそうとさえしたことを記しています(4章28~29節)。
しかし、ヨハネ福音書のこの場面における「自分の故郷」とは、ユダヤでありエルサレムであるという説があるようです。オリゲネスは、「預言者たちのふるさとはユダヤにありました」(オリゲネス著『ヨハネによる福音注解』396ページ)として、この場面におけるイエス様の故郷とはユダヤであるとしています。
その見解に同調しているのがオディです。オディは、注解書において以下のように記しています(G・R・オディ著『NIB新約聖書注解5 ヨハネによる福音書』107ページ)。
44節の文脈によれば、ここではユダヤをイエスの「故郷」としてとる読み方に軍配が上げられる。この諺(ことわざ)を注意深く読んでみると、この判定がさらに支持される。「故郷」が「自分の」という形容詞で修飾されているのは、ヨハネ福音書に現れる諺だけである(筆者注・ルカ福音書4章24節の「自分の故郷」は、原文では「彼の故郷」)。
この形容詞が用いられることで、1章11節の「自分の民のところに来たが、自分の民は彼を受けいれなかった」が想起される。1章11節と4章44節は同じことをいっている。イエスのいう「自分の故郷」はイエスの生れた土地を指すのではなく、神の救いの計画の中でイエス自身のものである場所、即ちユダヤとエルサレムを指しているのである。
私も、オリゲネスやオディのように、44節のイエス様の「自分の故郷」というのは、救いの計画の中のことであり、ユダヤとエルサレムを指していると思います。そうしますと、45節との間に矛盾は生じません。ガリラヤの人たちは、過越祭のために行ったエルサレムでイエス様のなさったこと見ていたので、イエス様を歓迎しました。
役人と病気の息子
46 イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に変えられた所である。さて、カファルナウムに王の役人がいて、その息子が病気であった。47 この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子を癒やしてくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである。48 イエスは役人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われた。49 王の役人は、「主よ、子どもが死なないうちに、お出でください」と言った。
第4回でお伝えしましたが、イエス様はガリラヤのカナで「水をぶどう酒に変える」という、1回目のしるしを行いました(2章1~11節)。そのカナに再び行かれたのです。そこには、カナから約30キロ離れたカファルナウムから来ていた王の役人がいました。
彼には、病気で死に直面していた息子がいました。彼は息子の病気を何とかして癒やしてもらいたくて、カナに来ていたイエス様の元に行ったのです。そして、カファルナウムに来て息子を癒やしてほしいと懇願しました。それに対してイエス様は、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われました。
これは役人への言葉とされていますが、「あなたがた」と言われていることからすると、役人だけではなく、役人を囲むガリラヤの人一般に向けられた言葉であると考えられます(伊吹雄著『ヨハネ福音書注解Ⅰ』245ページ)。ガリラヤの人たちが、エルサレムで見た不思議なことの故にイエス様を歓迎したことへの応答であると思われます。
しかし、役人本人が求めていたものは、「信仰についての資格証明」などではなく、息子の癒やしであり、彼が表明したのは「わが子を助けてほしいという願いと、この方であれば治してもらえるという信仰」のみでした。イエス様とすれば、それで十分であったのでしょう(ルドルフ・ブルトマン著『ヨハネの福音書』176~177ページ)。
役人の信仰
50 イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きている。」 その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。51 ところが、下って行く途中、僕(しもべ)たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。52 そこで、息子が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは、「昨日の午後一時に熱が下がりました」と言った。53 それが、イエスが「あなたの息子は生きている」と言われたのと同じ時刻であったことを、父親は知った。そして、彼もその家族もこぞって信じた。
イエス様は、ガリラヤの人たちの「奇跡信仰」は否定されましたが、役人の信仰に対しては、「帰りなさい。あなたの息子は生きている」という宣言で応えます。この「生きている」のギリシャ語は「ゼー」で、新約聖書で永遠の命を意味する「ゾーエー」の動詞形です。イエス様は役人の息子に、永遠の命をもたらすことになるのです。
役人はカファルナウムに帰っていきました。途中で僕たちに会い、息子が生きていることを知り、さらに息子の熱が下がったのが、イエス様が「あなたの息子は生きている」と言われた時刻であったことも知ります。ゼーという単語が繰り返し使われ、役人の信仰の故に、その息子が永遠の命を得たことが強調されています。
その後に、「彼(役人)もその家族もこぞって信じた」と記されています。この記述は、フィリピの牢獄(ろうごく)でパウロとシラスが看守に、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と言って、洗礼を授けたこと(使徒16章16~34節)を連想させます。
初代教会は家の教会でした。フィリピの看守の家族は、その後、家の教会を創設したと考えられます(荒井献著『使徒行伝 中巻』387ページ)。カファルナウムの役人の家も、やがて家の教会になっていったのかもしれません。
ヨハネ福音書に記された7つのしるし
54 これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、第二のしるしである。
ヨハネ福音書には7つのしるしが記されています。今回のしるしで、カナの婚礼に続く2つ目のしるしが伝えられました。残る「ベトザタの池」「5千人の供食」「湖上歩行」「目の見えない人の癒やし」「ラザロの復活」についても、追ってお伝えしていきたいと思います。(続く)
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