今回は、前回と一部重複しますが、4章28~30節と39~42節を読みます。この2箇所に挟まれた31~38節は、次回お伝えする予定です。
町の人々に伝える
28 女は、水がめをそこに置いて町に行き、人々に言った。29 「さあ、見に来てください。私のしたことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」 30 人々は町を出て、イエスのもとへ向かった。
39 さて、町の多くのサマリア人は、「あの方は、私のしたことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。
前回お伝えしましたように、私は、サマリアの女性がイエス様から永遠の命の水を頂いた、つまりイエス様への信仰が成立したので、もう水がめは必要なくなり、そこに水がめを置いて町へ帰っていったのだと考えています(オリゲネス著『ヨハネによる福音注解』354ページ)。
町に帰った女性は、「さあ、見に来てください。私のしたことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません」と町の人々に話します。ここでの「さあ、見に来てください」という言葉は、第3回でお伝えした、フィリポがナタナエルに「来て、見なさい」(1章46節)と言ったことと同じ意味を持つといわれます(G・R・オディ著『NIB新約聖書注解5 ヨハネによる福音書』100ページ)。
当該箇所でお伝えしましたが、私は、このような「仲介者」としての言葉も、メシア告白の一つとしてヨハネ福音書は伝えているのではないかと考えています。この女性は、サマリアの町の人々に、暗にイエス様はメシアであるということを伝えているのです。実際、39節を読みますと、女性のこの言葉によって、サマリアの町の人々はイエス様を信じるようになるのです。
29節に戻りますが、「もしかしたら、この方がメシアかもしれません」と女性が言ったことについては、女性が半信半疑であったためこのように言ったとは、私は考えていません。そうではなく、女性は「未解決の疑問」(『ギリシア語新約聖書釈義事典(2)』493ページ「メーティ」の項目)として、町の人々に提示しているのです。
「イエスはメシアである」という定式は、決定したこととして他者に押し付けられるものではなく、受け取る側にあくまでも自由を持たせているものなのです。にもかかわらず、「町の多くのサマリア人は女性の言葉によってイエスを信じた」というのは、ニコデモがイエス様のしるしを見て、超然的な出来事であったが故にその元に来たのと同じような意味合いのことであったのかもしれません(第6回参照)。
サマリアに滞在されたイエス様
40 そこで、サマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところに滞在してくださるように願った。イエスは、二日間そこに滞在された。41 そして、さらに多くの人が、イエスの言葉を聞いて信じた。42 彼らは女に言った。「私たちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからである。」
サマリアの人たちは、女性の言葉を聞いてイエス様の元へと向かいます。女性がその元を去った後、イエス様がどうされたかについて聖書は告げていません。しかし40節は、イエス様がまだヤコブの井戸の近辺にいたことを読者に想像させます。
サマリアの人たちは、イエス様に町に滞在してほしいと願います。イエス様はそれに同意して2日間サマリアに滞在されました。これは当時のユダヤ人のサマリア人に対する態度からすれば、信じ難い出来事であったと思います。
昨年度は、「ルカ福音書を読む」というコラムを連載しましたが、ルカ福音書では、徴税人や罪人といった社会から疎外されている人たちとイエス様が食事をしたことが多く伝えられていました。ヨハネ福音書には、徴税人や罪人たちとの交わりは伝えられていませんが、サマリア人という、ユダヤ人から疎外されていた人たちとの交わりの様子が、ここにおいて伝えられているのです。
また、2日間サマリア人の町に滞在したということですが、この「滞在する(メノー)」という言葉は、ヨハネ福音書およびヨハネの手紙においては大事な言葉です。既に第3回において、洗礼者ヨハネの弟子たちが、イエス様に対して「どこにとどまっておられますか(メノー)」と聞いたことをお伝えしていますが、それと同じです。イエス様がサマリアに滞在されたことは、神様の愛がそこにとどまったということを意味しています。
サマリアの人たちは、イエス様のところに来て、真に「イエス様がメシアである」と告白します。そしてそれは、女性からイエス様のことを聞いたからではなく、自分たちがイエス様から直接話を聞いて、その告白をしているのです。女性から押し付けられたのではなく、意思決定の自由を付託された伝道において、イエス様と出会い、信じたのです。
初代教会のサマリア伝道
サマリアの女性のお話は、初代教会のサマリア伝道と無関係ではありません。それがイエス様による予示の出来事なのか、いわゆる様式史(福音書の話の背景には、初代教会の信仰が反映されているとする聖書学的立場。マルチン・ディベリウスやルドルフ・ブルトマンによって提唱された)でいわれている「生活の座」の出来事であるのかはここでは問いませんが、サマリア伝道の様子が透けて見えています。
そこで、使徒言行録8章で伝えられているサマリア伝道の様子を掲載しておきたいと思います。
4 さて、散って行った人々は、御言葉を告げ知らせながら巡り歩いた。5 フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣(の)べ伝えた。6 群衆は、フィリポの行った数々のしるしを見て、こぞってその話に耳を傾けた。7 実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちから、霊が大声で叫びながら出て行き、体の麻痺(まひ)した人や足の不自由な人が大勢癒やされた。8 町の人々は大変喜んだ。
9 ところで、この町に以前からシモンと言う人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、自分を偉い者のように言い触らしていた。10 それで、小さな者から大きな者に至るまで、皆が「この人こそ偉大なものと言われる神の力だ」と言って注目していた。11 人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に驚かされていたからである。12 しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。13 シモン自身も信じて洗礼を受け、いつもフィリポに付いて行き、しるしとすばらしい奇跡が行われるのを見て驚いていた。
14 エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ遣わした。15 二人は下って行って、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。16 人々は主イエスの名によって洗礼(バプテスマ)を受けていただけで、聖霊はまだ誰の上にも降っていなかったからである。17 二人が人々の上に手を置くと、聖霊が降った。18 シモンは、使徒たちが手を置くと霊が与えられたのを見、金を差し出して、19 言った。「手を置けば、誰にでも聖霊が受けられるように、私にもその力を授けてください。」
20 すると、ペトロは言った。「この金は、お前と共に滅びるがよい。神の賜物が金で手に入ると思っているからだ。21 お前はこれに関わることも、あずかることもできない。心が神の前に正しくないからだ。22 この悪事を悔い改め、主に祈れ。あるいは、心に抱いた思いを赦(ゆる)していただけるかもしれない。23 お前が苦い胆汁と不義の縄目の中にいるのが、私には見える。」 24 シモンは答えた。「おっしゃったことが私の身に起こらないように、主に祈ってください。」
25 このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。
最初にサマリアでキリストを宣べ伝えたフィリポについては、12弟子の1人のフィリポであるのか、別人なのかについては議論があるようです。しかし、ヨハネ福音書における彼の扱いや、サマリアとヨハネ共同体との関係について論じている本を読んだりしますと、同一人物であるように思えます。
いずれにしましても、初代教会は、ユダヤ人が疎外していたサマリア人の町に入って行き、そこで伝道して教会を形成していったのです。それは、サマリアの女性のお話で示されている、イエス様のサマリアへの愛が展開されていったことなのではないかと思います。(続く)
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