1966年に一家4人が殺害された「袴田事件」で死刑が確定し、半世紀以上無実を訴え続けているカトリック信徒の袴田巌(はかまだ・いわお)さん(87)について、東京高裁は13日、再審を認める決定をした。検察が20日の期限までに最高裁に特別抗告しなければ、確定判決で死刑を言い渡した静岡地裁で再審が始まる。国内メディアが同日、一斉に伝えた。
読売新聞によると、争点となったのは、犯行時に袴田さんが着ていたとされる「5点の衣類」に付いていた血痕の色。衣類は事件発生から1年2カ月後に、現場近くのみそ工場のみそタンクで発見されたが、当時の実況見分調書などには、血痕の色が「濃赤色」などと記されていた。
袴田さんの弁護側は、実証実験の結果や法医学者の鑑定書を提出し、衣類に付いた血痕は1年間みそ漬けにされれば、黒く変色し、赤みは消えると主張。東京高裁は弁護側の主張を認め、実験結果を「無罪を言い渡すべき新証拠」とした。その上で、袴田さんが犯行時に「5点の衣類」を着ていたとする確定判決の認定には合理的な疑いが生じるとし、再審を認めた。
また、「衣類は、事件の発生から相当期間が経過した後に、捜査関係者がみそタンクに入れた可能性が極めて高い」と指摘。捜査機関によるねつ造の可能性にも言及した。
36年に静岡県雄踏町(現浜松市)に生まれた袴田さんは59年に上京し、プロボクサーとして活躍。その後、同県清水市(現静岡市清水区)のみそ製造会社に勤務した。66年6月30日未明に、同社専務の男性宅から出火し、焼け跡から男性を含む家族4人が刃物でめった刺しにされた遺体で発見される。袴田さんは同年8月に容疑者として逮捕され、連日長時間の取り調べを受けて「自白」。公判では無罪を主張したが、静岡地裁は68年に死刑を言い渡し、80年に最高裁で確定した。
84年のクリスマスイブに、獄中で教誨師の故・志村辰弥神父から洗礼を受けた。獄中では聖書を読んでは祈っていたという。92年には、獄中で書きつづった身の潔白と再審を願う祈り、家族への思いなどが支援団体の編集でまとめられ、『主よ、いつまでですか』として出版されている。
81年から第1次再審請求を行うが、2008年に最高裁が特別抗告を棄却して終了。同年、第2次再審請求を始め、静岡地裁は14年、再審開始や死刑の執行停止を認め、袴田さんは逮捕から48年ぶりに釈放された。
しかし、検察が即時抗告し、東京高裁は18年、再審開始を取り消した。これに対し、弁護側が特別抗告。最高裁は20年、「5点の衣類」に付いた血痕の変色についてのみに争点を絞り、東京高裁に審理を差し戻していた。