福沢諭吉の名言に、「賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによりて出来るものなり」という言葉があります。フルタイム大学生としてのニューヨーク生活にもすっかり慣れた私は(第3回、第5回参照)、この言葉を、身を持って体感しています。新型コロナウイルスのパンデミックによって、世界は大きく変わりました。数年前の私のままでは、危うく世の中の変化についていけず、取り残されるところでした。主を信じてこの道を選ぶことができ、本当に良かったと思います。
今の大学に通うようになって驚いているのは、社会人学生の多さです。私の通っているナイアック大学(英語、9月からアライアンス大学に改名)は、140年前に宣教師の育成機関としてスタートしました。そのため、今も現役の牧師や宣教師、あるいは教会関係の仕事に就こうとする人たちが学生として通っています。そういう事情から、社会人学生が多いのはナイアック大学特有のものだと思っていました。しかし、調べてみると、社会人学生の増加は近年の米国全体の現象であることが分かりました。
米教育コンサル会社EABのまとめ(英語)によると、実に米国の大学に通う学生の38パーセントは25歳以上の大人で、退役軍人や現役の社会人、子育て中の親たちなのです。そして、EABは2019年当時、特に25歳~34歳の若年成人層の学生が2022年までに21パーセントも増加するであろうと予測していました。大学側もこうした予測に早くから注目し、必要なプログラム編成を行ってきました。
大人は多くの場合、若者のようにフルタイムで学生をすることができません。仕事や育児などで時間が確保できないというのも大きな理由ですが、それに加えて健康上の理由や、介護などの家庭のさまざまな事情があるからです。そのため、大人の学生を受け入れたいと望む大学は、オンラインコース作りに重点を置くようになりました。これはコロナ禍以前の話です。米国の多くの大学がコロナ禍でもスムーズに授業を続けることができたのは、既にオンラインでの学習プログラムが確立されていた、あるいはそれに向けてある程度準備を進めていたからなのです。
ではなぜ、米国で大学に通う社会人が急に増えてきたのでしょうか。米国内の幾つかの調査研究を見てみると、主な理由は以下の7つだといえます。
- 収入アップのため:管理職クラスを目指すために大卒資格が欲しい。
- 転職のため:新たなキャリアのために必要な資格や学位を取りたい。
- 資金ができたため:学生ローンを組まずに奨学金のみ(返済義務なし)で大学に行けるようになった。また、学費などは税金控除の対象にもなる。
- スキルのアップデートのため:仕事を継続するためには、スキルのアップデートが必要だと感じた。
- 学位取得のため:若い時、経済的な問題や結婚・育児などで学位取得まで至らず、中退や休学をしていた。
- 個人的成長や達成感のため:仕事や給料に直接は反映されないが、達成感を得ることや個人的成長を望んでいるから。
- 起業するため:リーダーシップやマネージメントなど、起業するために必要なことを学びたい。大学を通してこれまでにないネットワークが作れるのにも魅力がある。
しかし、これらはあくまでも一般的な理由です。実際に大学で教えている教授は、社会人学生の増加についてどう考えているでしょうか。ナイアック大学で23年間、心理学を教えているステファン・マレット博士に話を伺いました。
「私もメディアが伝えているように、米国内の社会人学生は増加していると感じています」。そう最初に語ったマレット博士は、その一番の理由として高齢化社会を挙げました。
「米国内の労働者年齢は高くなってきています。働くということは、それだけ人々は脳を使います。脳は、使い続けていれば老化が遅くなります。それは運動と一緒です。年を取ったからといって歩くことをやめてしまったら、足腰が弱って歩けなくなります。それと同じように、脳も継続して使っていれば老化を防ぐことができます。何が言いたいのかというと、今の30代以上の人たちは、昔の大人たちとは違うということです。ですから、大人になってから大学に進学する、または大学に戻るということにも抵抗がないのでしょう。むしろ、働き続けるために学び続けることを望んでいます。多くの人が継続して学ぶ必要性を感じているのだと思います」
私は、社会人学生が増加した一番の理由は、インターネットの普及だと思っていました。インターネットがなかった時代には、働きながら、あるいは育児をしながら大学で学ぶことは難しかったと思うからです。しかし、マレット博士はインターネットの普及が最大の理由ではないだろうと言いました。なぜなら、ナイアック大学ではインターネットがない時代から社会人学生が多かったからです。「インターネットがなかった時代、私たちの大学では多くの授業が夜間クラスでした。学生の6割ぐらいが社会人だったので、昼間はあまりクラスがなかったのです。若者はむしろオンラインコースを始めてからの方が増えており、他の大学とは逆かもしれません(笑)。今は学生が若者からシニアまでおり、また(オンラインコースを使って)海外や米国内の各地で学ぶ学生も増えました。確かにインターネットの普及は、全ての人の学ぶ機会を増やしたと思います。しかし、学びたい大人たちは、それ以前からいたのです。実際に高齢化社会となり、労働年数が長くなったことで、学び直さなくては社会に順応できないと判断した大人たちが増えました。それが社会人学生を増やした最大の理由だと思います」
また、マレット博士は、大学側のカリキュラムの組み方も多様化したと言いました。例えば、社会人学生は全ての単位を取る必要がない人もいます。仕事で必要なコースだけを受講する人や、短期コースを受講する人もいます。また、過去に大学に通っていた人は、その当時のクレジット(単位)の記録を提出すれば、最初からやり直す必要はありません。私の場合も、日本で取得した単位(短大卒の学位)が認められたため、約2年で卒業が可能となります。
また、マレット博士は、社会人学生の増加は大学側にとっても若い学生にとっても、メリットしかないと言いました。
「特に若い学生たちにとっては、(社会人学生が増えることは)最大のメリットでしょう。なぜなら、社会経験のある人たちがクラスメイトなのですから! 社会人学生から得られる情報や知恵、人脈は、同年代の友達や大学教授からは得られない宝物です。インターネットで何でも情報が手に入る時代ですが、社会人学生たちの知恵は、それとは比較にならない貴重なものです。それに、メリットは学生だけでなく、大学側にもあります。社会人の学ぶ姿勢は、若い学生にとっての良い手本となります。いくつになっても学ぼうとする姿勢は、若い人たちを勇気付けます。それに教授にとっても、若者ばかりのクラスよりも授業が進めやすくなるのではないでしょうか。教授以外のさまざまな知恵がクラスに集まるわけですから!」
マレット博士と同意見の識者は多いようです。例えば、ニューヨーク州のお隣のニュージャージー州にあるトーマス・エジソン州立大学のエリザベス・ゲーリッグ博士は、社会人学生に関する記事(英語)で、このような言葉を書いています。
Your Life Skills Are Top-Notch(あなたの人生におけるスキルは一流です)
確かに、大人たちの武器は社会人としての経験です。大人たちは、日常の仕事の中で社会人としてのスキルを自然に身に着けています。例えば、あいさつの仕方や人とのコミュニケーションの取り方、新しい企画書を作ったり、一つのプロジェクトを同僚たちとチームで遂行したり、営業先のクライアントに売り込みしたり・・・。そして、学生のように時間が自由にならない中でも、プライベート(家庭や趣味など)と仕事の時間の管理をしっかりとしています。これらのスキルは学業に大きく反映されます。実際、ナイアック大学でも社会人学生の方が、若い学生よりも優れている点が多くあります。例えば、論文やプレゼンテーションのための資料探しも的確ですし、プレゼンテーション能力も高いです。また、課題の締め切りまでのスケジュール管理能力やディスカッションの際のコミュニケーション能力も若い学生より高いと感じます。
私はまた、大学側には経営的なメリットもあるのではないかと思っています。米国も少子化に向かっており、大学側が多くの社会人学生を受け入れることは、経営の安定化につながります。社会人学生の場合は、若い学生と違って休学したり退学したりするケースも少ないでしょう。もちろん、大学経営は営利目的で行われるべきではありません。しかしながら、大学が経営難になっては元も子もありません。
マレット博士は心理学者として、このような意見も述べました。
「とにかく、いくつになっても新しいことを知ることは、とても楽しいことです。私たちは新しいことを知ったとき、『あっ!』とか『えっ!?』と声が出るような驚きや感動を経験するでしょう。これは私たちの体の中でドーパミンという神経伝達物質を増やします。ドーパミンは幸福感を与えるだけでなく、多くの生命活動(特に感情、意欲、思考などの心の滑動)に関与していますので、心身の健康に良い影響を与えます。ですから、私たちが健康にいるためにも、脳を継続的に使い続ける『学び』は非常に重要なのです」
米国の社会人学生の増加は、人々が高齢化社会を受け入れ、生涯現役と考える人が増えていることを示しています。しかし、これは米国だけの現象ではありません。調べてみると、学びたいと望んでいる社会人は日本にも多くいるのです。
リクルートの「社会人の『学びに関する意識・実態把握調査』」(2022年2月)によると、日本の4割弱の社会人が、大学や大学院への進学に関心を持っていました。しかし、米国のように、実際に多くの社会人が大学や大学院で学べていないのはなぜでしょうか。それは、奨学金の種類が豊富だったり、企業が進学をバックアップしたりする米国と違って、日本では社会人の学びに対する支援が少ないからのようです。リクルートの調査によると、進学への支援制度を持つ企業は6パーセント程度。これが、社会人学生が日本で増えない大きな理由だと思われます。日本人が高齢化社会の中で生涯現役を貫くには、国や行政、企業の支援が急務となるでしょう。
しかし、諦めてしまっては何も変わりません。日本でも今年春に、17年かけて単位を取得し、99歳で学位を取得した男性がニュースになっていました。
インタビューの最後に、マレット博士は旧約聖書から、「さとき者の心は知識を得、知恵ある者の耳は知識を求める」(箴言18:15、口語訳)と「知恵ある者の舌は知識をわかち与え、愚かな者の口は愚かを吐き出す」(同15:2、同)を分かち合ってくれました。そして、こうインタビューを締めくくりました。
「特に箴言15章は、私が教職に就く中で大切にしています。古代から、学びは私たち人間にとって非常に大切なことだったのです。学びは、私たちの人生を本当に豊かにしてくれます。私もいくつになっても学ぶことをやめたくないですし、皆さんにもやめないでほしいと思います」
トーマス・エジソンが残した言葉に、こんな言葉があります。
私たちの最大の弱点は諦めることにある。成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。
生涯を通して学び続けることにより、私たちの体はドーパミンを作り出し、脳に刺激を与え、感動や幸福を感じ、若々しく人生の最期まで過ごしていけるのです。そして、諦めない姿勢は、クリスチャンにとっては信仰を守り通すことにもつながるのではないでしょうか。
わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。(2テモテ4:7、同)
私もドーパミンをたくさん出しながら、いつまでも若々しく健康体で信仰を守り通したいものです。
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