今回は、イエス様の12弟子と、イエス様に付き従っていた婦人たちについて、6、8、9章から関連のお話を読みます。
12弟子の選定
6:12 そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。13 朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。14 それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、15 マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、16 ヤコブの子ユダ、それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダである。
イエス様が選ばれた12人の弟子たちは、個性派ぞろいだったようです。ペトロ(シモン)、アンデレ、ヤコブ、ヨハネは、ガリラヤ湖で魚を取る漁師でした。血気盛んな威勢の良い人たちだったのでしょうか。前回お伝えしましたヤイロの家を訪問した際もそうだったのですが、イエス様はペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人だけを連れて行動することが多かったようです。この3人が弟子になったときのことについては、第9回で詳しくお伝えしています。
7番目に名前の挙がっているマタイは、マタイ福音書9章9節によれば、徴税人であったようです。ルカ福音書の並行箇所は5章27~28節ですが、ここではレビという名前になっています。そうであっても、12弟子の1人であるマタイは、徴税人であったとする捉え方が一般的であるようです。
8番目のトマスは、ヨハネ福音書20章によれば、イエス様が復活して弟子たちに現れたときに、その場に居合わせていなく、復活の話を聞いても全く信じない人物でした。この人も個性的であったことが伝えられているのです。ちなみに当該聖書箇所の24節において、「ディディモ(双子の意)と呼ばれるトマス」と記されていることについては、「双子のもう一人は実は読者なのである」という解釈があり、事実であるかどうかは別として、私はこの解釈が好きです。
10番目の「熱心党と呼ばれたシモン」についてはいろいろな見方があり、どれが正しいのかは分かりませんが、この人も個性的であったようです。そして最後に記されているイスカリオテのユダは、ここに記されているとおり、「後に裏切り者となった」のです。
私は、東京都文京区にある日本基督教団小石川白山教会の出身です。1980年4月から同教会に集うようになりました。その当時、この教会の前任牧師であった藤田昌直先生については、車椅子に乗った姿をお見かけしたことはありましたが、私自身は先生の説教をお聞きすることはありませんでした。ただ、教会で知り合ったある人が、「藤田先生の説教で印象深かったのは、しばしば『12弟子は荒(あら)くれ男たちであった』と語っていたことだね」と言われていたことを強く覚えています。自分自身も牧師をしている現在、きっとそうだったのだろうと思わされています。
婦人たちの同伴
8:1 すぐその後、イエスは神の国を宣(の)べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。2 悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、3 ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。
このお話は、ルカ福音書に固有のものです。ここには12弟子の他に、婦人たちの名前もあります。彼女たちは、「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち」とされています。前々回お伝えした罪深い女や、前回お伝えした出血の病を患っていた女もそうでしたが、この婦人たちも「不浄の人」であったと思われます。社会において見下げられていた人たちなのです。この人たちが癒やされ、イエス様と共に活動したことを伝えているのが、ルカ福音書です。こういったことが、まさにルカ福音書の大きな特徴ではないかと思うのです。イエス様に出会って、再出発していく様が伝えられているのです。
そして、ルカ福音書24章10節によりますと、イエス様が復活されたときに墓に行き、男の弟子たちがたわ言のようにしか思わなかった出来事を、彼らに伝えたのがこの婦人たちなのです。このことは、その後の初代教会においても、彼女たちが活動を共にしていたことを思わせます。そしておそらく、こうした女性たちのグループの筆頭格であったのが、「マグダラの女と呼ばれるマリア(通称・マグダラのマリア)」だったのです。
何も持たないで出かけた12弟子
9:1 イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。2 そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、3 次のように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。4 どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。5 だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃(ちり)を払い落としなさい。」 6 十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。
いよいよ、12弟子たちが独立して働きを始めます。出自も前職も違う12人が、悪霊に打ち勝ち、病気を癒やす力と権能をイエス様から授けられて、福音宣教に遣わされるのです。ここで大切なことは、12弟子は何も持たないで遣わされたということです。神の言葉と癒やしの権能のみを持って遣わされ、福音を告げ知らせ、人々の病気を癒やしました。
イスカリオテのユダは、前述のように「後に裏切り者となった」のであり、この時はもちろん他の11人と同じく、福音宣教の働きをしていたのです。
5つのパンと2匹の魚の奇跡
9:10 使徒たちは帰って来て、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた。イエスは彼らを連れ、自分たちだけでベトサイダという町に退かれた。11 群衆はそのことを知ってイエスの後を追った。イエスはこの人々を迎え、神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。12 日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」 13 しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」 彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」 14 というのは、男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。15 弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。16 すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。17 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑(くず)を集めると、十二籠もあった。
福音宣教から帰ってきた12弟子は、それぞれが行ったことをイエス様に報告しました。そのつながりにおいて、5つのパンと2匹の魚のお話が伝えられています。そしてルカ福音書は特に、「12人」ということを強調しています。この奇跡のお話は、4つの福音書全てにありますが、他の福音書には12人という言葉はありません。
つまり、ルカ福音書は、6章12~16節の12弟子の選定から、9章1~6節の12弟子の派遣、そしてこの5つのパンと2匹の魚の奇跡に至る一連のお話を、12弟子の働きとして前面に出しているのです(「説教黙想アレテイア」76号・83~84ページ、加藤常明「ルカによる福音書9章10~17節」参照)。これもルカ福音書の特徴であるといえるでしょう。漁師や徴税人であった人たちが、イエス様に従ったことによって新たな働きをするようになったことが伝えられているのです。
「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り(中略)、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた」とありますが、イエス様が分けたパンと魚を、12弟子が群衆に配っているのです。イエス様が人々に与える命を運ぶ役割をしているのです。
そして、「すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった」とお話が結ばれています。出エジプトの民が荒れ野でマナを集めたときに、その量が1人当たり1オメル(約2・3リットル)と、多過ぎず少な過ぎない量であったことを彷彿(ほうふつ)とさせますが(出エジプト記16章参照)、12籠というのは12弟子を意味していて、それはこの奇跡のお話が、群衆の共食ということと同時に、イエス様から12弟子への職責の委任ということを意味しているともいえましょう。
そして12弟子は、イスカリオテのユダはマッテヤに替わりますが、イエス様が天に帰られた後の初代教会においても活動をしていきます。ルカはそれを、使徒言行録でも伝えています。そこに、前述の婦人たちも加わったのです。
「人生はやり直せる」
最近インターネットで、「小指はなく肩には入れ墨、元ヤクザ牧師の“親分”はイエス様!『過去に何があっても人生はやり直せる』」(週刊女性)という記事を読みました。鈴木啓之牧師が、昔ヤクザであったけれどもイエス様に出会い、導かれて牧師になったことを記事にしたものです。
鈴木牧師の壮絶な人生の記事を読んで、やはり今回の12弟子と婦人たちのお話と重なると思わされました。きっと「荒くれ男」たちであった12弟子や、「不浄の人」たちであった婦人たちが、イエス様と出会い後年の教会の指導者になっていくその様を、ルカはルカ福音書と使徒言行録を通して伝えているのです。それはやはり、「人生はやり直せる」ということなのだろうと思うのです。(続く)
◇