今回は7章11~17節を読みます。
やもめの亡くなった一人息子
11 それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。12 イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺(ひつぎ)が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。
前回お伝えしました、カファルナウムで百人隊長の部下を癒やされた出来事の後、イエス様の一行はナインという町に向かいます。ナインは、ナザレの南南東10キロ、カファルナウムからですと南西に30キロほどの所にある町です。
ナインは城壁のある町であったようで、そうすると城壁には門があるわけです。イエス様と一行がそこに近づいたところで、この町のとあるやもめ(聖書におけるやもめは、夫と死別した女性でありましょう)の亡くなった一人息子が、おそらく担架のようなものに乗せられて担がれ、門から葬りの場所に出て行こうとしているところに出くわしたのです。
聖書の中では、「泣き人」といわれる人たちが伝えられています。人が亡くなるとその弔いの場所に行って泣く、職業的な雇われ人たちです(コヘレトの言葉〔伝道者の書〕12章5節「人は永遠の家へ去り、泣き手は町を巡る」参照)。ナインの町のこの葬送の一行は、泣き人たちを共にしていたのだと考えられます。
亡くなった息子の母親は、夫を亡くした後、一人息子とつつましく生きてきたのでしょう。彼女にとっては、息子の存在が、自分が生きていく上で大きな支えであったと思います。その息子が亡くなってしまったので、彼女は悲嘆に暮れていたと思います。ですから、それが泣き人たちと所作を一にしていた儀礼的なものであったとしても、張り裂けんばかりに泣いていたのだと思います。
はらわたをつき動かされたイエス様
13 主はこの母親を見て、憐(あわ)れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。
イエス様はこの母親を見て憐れに思われました。この「憐れに思う」という言葉は、ギリシャ語でスプランクニゾーマイといいます。これは「はらわたをつき動かされる」というような、感情が強く動かされることを意味する言葉です。実際、本田哲郎氏による個人訳聖書『小さくされた人々のための福音(下)』においては、「主はその母親を見てはらわたをつき動かされ」と訳されています(同書63ページ)。
ここでイエス様がはらわたをつき動かされたと伝えられていることは、私たちの信ずる神様が、そのようなお方であることが示されているのです。神様は、私たちの痛みに対して感情を強く動かされるお方なのです。イエス様は泣いている母親に感情を強く動かされて、「もう泣かなくともよい」と言われたのです。
「若者よ、起きなさい」
14 そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。15 すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。
イエス様は棺を担いでいた人たちを立ち止まらせ、死んだ若者に「起きなさい」と呼びかけられました。この言葉は、「目覚めよ」とも訳されています(田川建三著『新約聖書 本文の訳』117ページ)。死から目覚めることを意味する言葉です。イエス様は、若者が死人のうちからよみがえることを命じられたのです。
死んでいた若者は、復活して話し出しました。そしてその後、「イエスは息子をその母親にお返しになった」と伝えられています。これは「このやもめの生きる支えであった息子が生き返って戻ってくることにより、彼女の命が再び生気を取り戻したことを象徴的に示している」(嶺重淑〔みねしげ・きよし〕著『NTJ新約聖書注解 ルカ福音書1章~9章50節』313ページ)描写でありましょう。母親も、悲嘆に暮れた涙のうちから復活したのです。
本コラムでは、ルカ福音書は「やり直せます」をテーマにしているとお伝えしてきましたが、若者もそしてその母親も、復活し再出発していくことになります。これは、やもめという脆弱(ぜいじゃく)な立場にあった母親が、さらに一人息子を亡くして打ちひしがれている中、息子と一緒に再出発していく場面のお話でもあるのです。
このような奇跡が起こり得たのは、イエス様ご自身が十字架の死に打ち勝たれて復活されるお方であり、その方だからこそのことです。ルカ福音書は、イエス様の復活されたその命、すなわち永遠の命の力によって、私たちがやり直していくことが可能であることを伝えている文書であると、私は考えています。
「神様がその民を訪れた」
16 人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。17 イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。
葬送の一行や、出来事の一部始終を見ていた人たちは、「恐れを抱いた」とあります。ギリシャ語においては「恐れ」も「畏れ」も同じフォボスという言葉ですので、この場合は両方の意味合いを持つと解してよいように思えます。神様に対して恐れ(畏れ)を抱き、賛美をしたということです。
人々はさらに、「神はその民を心にかけてくださった」と言いました。「心にかけてくださった」と訳されているギリシャ語のエピスケプトマイは、ルカ福音書1章68節と78節にも記されており、これらの箇所では「訪れて」と訳されています。つまり、人々のこの言葉は、「神様がその民を心にかけて訪れてくださった」ということです。神の独り子がこの世に来られたことを、人々がほめたたえているのです。
そしてこの出来事は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に言い広まりました。ナインのあるガリラヤ地方だけではなく、ユダヤ全土に伝わったのです。そしてイエス様の復活後は、ペンテコステに誕生した教会において、この言い伝えはイエス様の十字架と復活の出来事と共に、「死に打ち勝たれた方だからこそ、起こすことができた奇跡だった」として、代々語り継がれていったことでしょう。
教会は今日も、イエス様の十字架と復活の出来事と共に、このお話を語り継いでいるのです。(続く)
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