今回はルカ福音書9章28節~43節aを読みます。今回の執筆に当たっては、農村伝道神学校の学報第185号(5月31日付)に巻頭言として掲載されていた平良愛香牧師による入学式の式辞「山を下りるために山に登る」に啓発されたということを申しあげておきます。平良牧師はこの4月から同校の校長になられました。今回は、当初の構想では9章28~36節に記された「山上の変容」といわれるお話のみをお伝えするつもりでしたが、平良牧師の巻頭言を読んで、37節~43節aの山を下りた後の出来事も合わせて執筆することにしました。
山上の変容
28 この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。29 祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。30 見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。31 二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。32 ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。33 その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」 ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。34 ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。35 すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。36 その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。
イエス様は、ペトロ、ヨハネ、ヤコブの3人を連れて、山に登られました。第17回でお伝えした、会堂長ヤイロの家に行ったときも、イエス様はこの3人だけを連れていきました。この3人は、12弟子の中でもイエス様に重んじられていたようです。
登った山がどこであるか、聖書には書かれていませんが、聖地旅行でイスラエルに行ったときに、ある山の近くを通った際、ガイドから「あれが『山上の変容の山』といわれている山です」と教えていただきました。タボル山という山で、私は行くことはできませんでしたが、そこには「変容教会」という教会が建てられているそうです。
32節に「ペトロと仲間は、ひどく眠かった」(田川建三訳では「ペテロとその仲間はすっかり眠りこけていた」)とあります。この山上の変容のお話は、マタイ福音書とマルコ福音書にもありますが、この言葉はルカ福音書に固有なものです。そしてこの言葉の故に、山上の変容は真夜中の出来事であったといわれています。真夜中の山上に、旧約聖書の2人の人物、モーセとエリヤが登場するわけですが、モーセといえば、出エジプト記14章の「葦(あし)の海の奇跡」を思い起こします。モーセのこの出来事も、真夜中のことだったのです。
葦の海のお話では、火の柱と雲の柱がイスラエルの民をエジプト軍から守ります。火の柱と雲の柱は、神様の栄光を表しています。真夜中の葦の海に、神様の栄光が現されたのです。山上の変容も、真夜中の山の上に、神様の栄光が現された出来事であり、私はこの2つのお話を重ね合わせて読んでいます。
ペトロたち3人が眠さを「じっとこらえていると」(田川建三訳では「目をさますと」)、栄光に輝く中に、服が真っ白に変容したイエス様と、モーセとエリヤがおり、イエス様がエルサレムで成し遂げられる最期について語らっているのを見たのです。モーセは旧約聖書の律法の書を代表する人物であり、エリヤは旧約聖書の預言者を代表する人物です。つまり、旧約聖書を代表する2人の人物と、新約聖書がその全体において伝えているイエス様が語らっているということです。山上の変容の出来事は、旧約の時代から新約の時代への橋渡しのお話でもあります。
この光景を見たペトロは、訳が分からずに「仮小屋(幕屋)を三つ建てましょう」と言ったのです。仮小屋とは、仮小屋で生活してシナイの荒れ野を移動した出エジプトの出来事を象徴しているものです。山上の変容の出来事は、いろいろな点で出エジプトの出来事と重なっています。
ペトロがこう言っていると、モーセとエリヤは消え、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえてきました。これは、イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼を授かったときに聞こえてきた、天からの声と共通しているものです(ルカ3:21~22参照)。
イエス様は、「復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と言われます(マタイ17:9、マルコ9:9)。そして、ルカ福音書は「弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった」と伝えています。「当時」とありますので、イエス様が復活された後に誕生した教会では、この出来事を大いに語ったということでしょう。
この山上の変容のお話は、3つの福音書以外に第2ペトロ書1章でも伝えられています。
16b わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。17 荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。18 わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。
この内容も、初代教会において山上の変容のお話が大いに語られていたことを示していると思います。また、新約聖書外典のペトロ黙示録15~17章には、3福音書の記述よりさらに詳しい描写で、山上の変容の出来事が伝えられています(『聖書外典偽典 別巻 補遺Ⅱ』230~233ページ)。
3人の弟子のその後
ペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人はその後、イエス様が十字架にかけられる前にオリーブ山(ゲツセマネの園)で祈られるときにも同行します(マタイ26:37、マルコ14:33)。ルカ福音書の並行記事(22:39~46)では、同行した弟子たちの名前は伝えられていませんが、恐らくペトロ、ヤコブ、ヨハネでしょう。どの記事でも、イエス様は弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われていますが、彼らは眠ってしまいます。そしてイエス様から、「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」と叱責されてしまいます。
前述しましたように、マタイ、マルコ、ルカの各福音書の山上の変容の記事において、「ペトロと仲間は、ひどく眠かった」と伝えているのはルカ福音書だけです。前述の際、「ペテロとその仲間はすっかり眠りこけていた」という田川建三訳を併記しましたが、この翻訳が正鵠(せいこく)を射ていると思います。つまりルカ福音書は、山上の変容の時においても、オリーブ山の祈りの時においても、ペトロ、ヤコブ、ヨハネが眠っていたことを伝えているわけです。
イエス様が復活され天に上げられた後のこと、すなわち初代教会の様子を、ルカは使徒言行録で伝えています。ペトロ、ヤコブ、ヨハネは教会の中心となって活動していました。ヤコブは、恐らく11~13年間活動した後、殉教しています(使徒12:1~2参照)。ペトロとヨハネはその後も活動を続けますが、ペトロも殉教したと伝えられています。
このようにルカは、ルカ福音書と使徒言行録を通して、山上の変容やオリーブ山の祈りといった大事な時に眠りこけていた情けない3人が、初代教会の中心的な指導者となっていったことを伝えているのです。こういったところに、ルカ福音書(あるいは使徒言行録にまで通貫して)の特徴があるのです。そしてそれが、これまでお話してきた「やり直せます」というテーマにつながっていると私は考えています。
山を下りる
37 翌日、一同が山を下りると、大勢の群衆がイエスを出迎えた。38 そのとき、一人の男が群衆の中から大声で言った。「先生、どうかわたしの子を見てやってください。一人息子です。39 悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。40 この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できませんでした。」 41 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子供をここに連れて来なさい。」 42 その子が来る途中でも、悪霊は投げ倒し、引きつけさせた。イエスは汚れた霊を叱り、子供をいやして父親にお返しになった。43a 人々は皆、神の偉大さに心を打たれた。
冒頭でお伝えしました平良牧師は、変容の起こった山から下りることについて次のように書いておられます。
神がいるのは、果たして山の上なのだろうか。山の上は神に近い場所なのだろうか。イエスは山上に留まろうとはしなかった。弟子たちは、この場所こそが神の子、救い主に相応しい場所であり、山を下りて欲しくないと考えたのだろう。しかしイエスは躊躇(ちゅうちょ)なく下山する。弟子たちは後ろ髪をひかれつつ、イエスと共に谷へ下っていく。下りきったところにある地は、山上とは全く逆の場所。山の上がある意味、神のいる場所、光り輝く場所、あらゆる悩みから解放された場所だとすれば、地上は暗闇、病と死、苦しみ、悩み、争い、恐れに満ちた場所。下山したイエスを待っているのは、イエスの敵対者たちや苦しみにあえぐ人々。天から地に降りたイエスの生涯はまさに下り続ける生涯だった。神の住まいではないと思われたところに行き、人々の傷ついたいのちを回復させる道を選んだイエス。
仮小屋を造ってずっとその場所にとどまり、その「すばらしいこと」を味わっていたかったペトロの思いに逆行して、イエス様と一行は次の日に山を下ります。そこには苦しんでいた親子がいました。山の上で出会った出来事は、夜であっても栄光に満ちていましたが、山を下りて出会ったのは、癲癇(てんかん)を持つ子とその父親の苦しみであり、それは昼間であっても暗いことでした。
この時の暗さの原因は、親子だけによるものではなかったようです。父親から息子の悪霊を追い出すように頼まれた弟子たちにも原因があったのです。前回お伝えしましたが、弟子たちはイエス様から、悪霊に打ち勝ち、病気を癒やす権能を授けられていました。しかし、それができなくなってしまっていたのです。
イエス様は、「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか」と嘆かれました。弟子たちになぜ信仰がなくなってしまったのかは分かりません。しかし、出エジプト記32章に記されている、モーセが山に登っている間に、山の下にいたイスラエルの民が、神様に対する信仰を失い、金の子牛を造って拝み出すお話を彷彿(ほうふつ)とさせます。
イエス様はその子を呼び寄せてもらい、汚れた霊を追い出し、癒やして父親にお返しになりました。この「父親にお返しになった」という言葉は、ルカ福音書だけに固有なものです。第17回でお伝えしたことですが、ヤイロの娘の蘇生は、娘の再出発であるとともに、父親のヤイロにとっても、娘と共に生きることのできる再出発でありました。このお話も、癲癇を癒やしてもらった息子本人の再出発であるとともに、父親にとっても、癒やされた息子と共に歩むことのできる再出発だったのです。(続く)
◇