さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。(ヨハネ20:1)
週の初めの日の明け方早く、女たちは準備しておいた香料を持って墓に着いたと、マタイ、マルコ、ルカ、そしてヨハネの四福音書に同じように記されています。
大きな石が墓からわきに転がされ、中に入ると御使いが現れ、こう言いました。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう」(ルカ24:5~7)
マグダラのマリアたちは、墓から戻って11弟子とその他の人たち全員に一部始終を報告しました。ところが、彼女たちからの報告を受けた弟子たちは、この話をたわごとだと思い、信用しませんでした。しかし、ペテロとヨハネは立ち上がり、走って墓へ行きました。かがんで墓の中をのぞき込んだところ、亜麻布だけがあったことを見届け、驚いて家に帰りました。
マグダラのマリアは、ガリラヤ伝道において、主によって7つの悪霊から解放され、以降、主に仕える女性たちの一員となりました。その献身ぶりは、十字架の傍らから離れず、埋葬を最後まで見届け、その後も墓に訪れるという、実に徹底したものです。主の逮捕に直面して離散した他の弟子たちとは好対照をなしています。
マグダラのマリアも、再び墓に来ていました。そして、2人の弟子たち(ペテロとヨハネ)が帰った後も墓の外にたたずんで泣いていたのです。マリアにとって、イエスがどれだけ特別な存在だったかが分かります。墓の中にいた2人の御使いに涙の訳を聞かれると、イエスの体を誰かが取っていってしまったと答えます。マリアは、イエスのよみがえりを信じるどころか「私の主」が取り去られたことにすっかり絶望してしまっていたのです。
マリアが後ろを振り向いたとき、イエスが立っておられました。しかし、マリアはそれがイエスだと気付かず、園の管理人だと思ったのです。泣いている理由と、誰を捜しているのかを問われると、マリアはイエスの体の行方を尋ね、自分が引き取りたいと申し出ます。
そんなマリアに、イエスは「マリア」とその名を呼んでくださったのです。耳慣れた呼び声に、それがよみがえったイエスだと気付いたマリアは、どれほど喜んだことでしょう。イエスはご自分が父なる神のもとに上ることを弟子たちに伝えるよう命じ、マリアはそれに従うのです。
マグダラのマリアは誰あろう私自身のことではないでしょうか。復活の主があなたの名を呼んでおられます。
だが、今、ヤコブよ。
あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。
イスラエルよ。
あなたを形造った方、主はこう仰せられる。
「恐れるな。わたしがあなたを贖(あがな)ったのだ。
わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのもの」(イザヤ43:1)
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