人はみな死んだら天国にゆくのだ。格別に悪いことをしなければいいのではないか。
交通事故や事件などで亡くなった人の子の作文に「天国のお父ちゃんへ・・・」と書かれることが多い。また、テレビに映る芸能人の告別式のどの弔辞にも「天国で安らいでください」とか「天国でまた会いましょう!」といった呼び掛けがなされます。特に悪いことをした人は別として、普通の人はみな天国へ行けるものと多くの人が思い込んでいるようです。しかし、この認識には大きな間違いがあります。誰でもは行けないのです。
天国〔そこでの永遠のいのち〕をはっきり約束するのは聖書の神様だけですが、その神様は非常にきよい方ですから、罪ある存在を受け入れてはくれません。神様がおられる所が天国ですから、神様に受け入れられないと、そこへ行けないのは当たり前でしょう!
では、天国〔永遠のいのち〕に行けるのは誰ですか。それは、その主(ぬし)である神様に受け入れられる者、すなわち、義である(罪のない)者です。しかし、多くの人は(意識してないかもしれませんが、)少なくとも、神様から与えられた“いのちの目的”を外れ、その神様を無視するという罪を持っています。その罪をキリストによって赦(ゆる)してもらっていること、それが天国へ行ける絶対の条件なのです。神様を無視する者が天国〔神の国〕に行けないのは当然の理ではありませんか。
罪の赦しを得ておきましょう。それは格別難しいことではありません。誰でもキリストを信じれば得られるのです。誰でも、キリストを信じることのできる“いのちある間”は、天国へ行ける可能性があるのです。しかし、そのいのちある間にキリストを信じてないと、天国へは行けません。
「狭量だ」「何だ」と言ってもどうしようもありません。天国は人間が管理している所ではありませんし、人間は神様に造られた存在で、神様から生きる基準を与えられているわけですから、それに従うほかありません。しかし一方で、キリストを信じさえすればそこへ行けるという救いの道まで用意してくださっていますから、それを選択しない手はないではありませんか。
いのちある間に、キリストを信じて、罪を赦されて、天国へ行けるというビザ(入国許可証)をもらっておきましょう!
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