「世尊布施論」のメシアの裁判と十字架刑、復活と宣教命令の部分を紹介します。
世尊が言われた。誰が私をメシア(弥施訶)と言うのか。私は民衆が求めているようなメシアではない。
ユダがメシアをだまして逮捕しようとした。
イエスが法により高い所に架けられて命が尽きたとき、地は動き、山は崩れた。岩の上にあった毛織物で作った掛物が聖なる所で2つに裂けた。墓は開かれ、福徳のあった死者が生き返り。・・・絶え間なく太陽が見えず、闇であった。聖なる方がこのようにされた。闇で人の目には一切が見えなかったが、聖なる方は見ておられた。
イエスのもとにはアリマタヤのヨセフという者が、法によりメシアの死体を家に運んだ。新しい麻布で包み、新しい墓に向かい、墓は山襞(やまひだ)にうがった墓で、大きな石でふたをし、封印した。
総督(ピラト)はユダヤ人に墓の番をするように言った。メシアが3日のうちに死から復活すると言い、人を迷わせてはいけないし、棺を盗まれぬようにしてほしい、それはメシアが死人の中から復活すると語ったからである。
ユダヤ人は3日間、メシアの墓を見張った。墓は外から女の手で開かせたかのようで、女は「見た」と証言した。飛仙(天使)は世尊の使いで、メシアに白衣を着せた。・・・石の上には飛仙に似た者が墓の番をして座っていた。
女が墓に来るのを見て、メシアは「おはよう(是実)」と言って、将来のことは使徒たちと話し合い、私が天から来たこと、やがて来ることを話して立ち去った。
一切(すべて)の所に行き、私の言葉を一切の種類の人に語りなさい。父と子と聖霊(浄風)の名(字)でバプテスマ(向水)を施し(具足)なさい。私はどこにでもいる。君たちは途にあって、これを天下の至る所で尽くしなさい。
このように見ますと、聖書のストーリーとは似ていますが、そっくり書き写したというものではありません。以下に続く使徒たちの活動は省略しましたが、聖霊が火のように弟子たちに臨み、教会が進展したと書かれています。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
旧版『景教のたどった道―東周りのキリスト教』
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