ここからは、私がいろいろな所でお話をしたときに受けた質問とそれに対する答えの中から、30問を選んで以下に示した。なお、この章でも、幾つかの本を参考並びに引用させていただいた。それらの本については〔 〕内に番号をつけ、文末に参考文献として記した。より詳しい内容を知りたい方は、そちらの方を参照していただきたい。
こんな時にどうするQ&A 聖書的原則と私の体験(1)
競争をどう考えればよいか
人が地上で生きていく限り、どんな所においても、大なり小なり競争がある。職場や学校においてはもちろんのこと、家庭においてさえ兄弟間における競争がある。従って、私たちが競争を避けることは困難である。
なぜ、私たちは競争するのだろうか。それは人間には、ある目標に向かって上って行くという向上心が本来備わっているからである。向上心は、神が人に下さったさまざまな資源を最大限に生かそうとする志向であり、それを働かせること自体は、神が喜ばれることであり、好ましいことである。
この向上心の働かせ方が、自己の内で完結している場合には、競争は起こらない。しかし、自己や自己に関する物事を、他者や他者に関する物事と比較して、より良い立場やより良い状況に置きたいと願い、向上心を他者との比較において働かせるときに競争が生じる。
競争には、良い面と悪い面の両方がある。良い面は、相手と競うことで向上心がより刺激され、より良い結果をもたらすことである。また悪い面は、競争という言葉が示す通り、相手と比較し競うことで、向上心が争いをもたらすように働くことである。それ故、私たちは、競争の良い面を生かし、悪い面を殺すように努力することが肝要である。
そのための鍵は、どのような動機で向上心を働かせ、競争を行うかということである。キリスト者は競争を行う場合、その動機に優先順序をつけることが必要である。彼はまず第1に、神の栄光を現すため、結果を全て神の栄光に帰すという動機を持って、競争を行うべきである。
次に、社会や人々を喜ばせるという動機を持つべきであり、自分のためという動機は最後に置くべきである。このような優先順序を持って競争を行うとき、それは神の祝福を受けるものとなり、結果として相手に勝ることができるということを覚えたい。
この良き例として、映画「炎のランナー」の主人公、エリック・リデルのことを紹介したい。彼は実在したキリスト者であり、パリ・オリンピックの100メートル競走のイギリス代表選手であった。神は、彼の上に試練を与えられた。予選の行われる日が日曜日となり、聖日礼拝の時間と重なってしまったのである。彼はキリスト者としてどちらを優先させるべきか悩んだ末に、聖日礼拝を優先させることにし、100メートル競走の出場の機会を他の選手に譲ってしまったのである。
競走に出ることよりも、神の栄光を現すことの方が大事であると考えたからである。当然のことながら彼のこの決断は、大きな波紋を呼んだ。しかし神は、礼拝を優先させた彼を見捨てることなく、彼に新たに400メートル競走への出場の機会を備えられたのである。彼の専門は短距離であり、中距離は彼の本来得意とするところではなかった。そのため、大きな期待は持たれなかった。
しかし、彼はその400メートル競走で、何と世界新記録で優勝してしまったのである。これは本当に予想外のことであった。ダニエル2:20に「神の御名は とこしえからとこしえまでほむべきかな。知恵と力は神のもの」とある通り、知恵と力の源なる神は、ご自身を第1とし、ご自身の栄光を現すことを求めた彼に、特別な力を与えられたのである。
このように、私たちが神の栄光を現そうとする動機をもって競争を行うとき、神は私たちに、大いなる知恵や力を与えられるということを覚えたい。競争の動機における優先順序において、自己のためという動機が最優先になるとき、また神の栄光のためや社会や人々を喜ばせるためという動機が欠落するとき、競争には問題が生じるようになる。ヤコブ4:1に「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」とある通りである。
自分が良くなることや、相手に勝ることのみを動機とする競争は悪循環を招き、競争は最終的には泥沼化し、相手と共倒れになることすらある。キリスト者はそのような競争からは、距離を置くべきである。相手が自分の方を攻撃してくるような場合でも、キリスト者は相手を貶(おとし)めるような競争に、決して入っていくべきではない。
《 参考文献を表示 》 / 《 非表示 》
(参考並びに引用資料)
[1]門谷晥一(2006年)『働くことに喜びがありますか?』NOA企画出版
[2]ジョン・A・バーンバウム、サイモン・M・スティアー(1988年)『キリスト者と職業』村瀬俊夫訳、いのちのことば社
[3]山中良知(1969年)『聖書における労働の意義』日本基督改革派教会西部中会文書委員会刊
[4]カール・F・ヴィスロフ(1980年)『キリスト教倫理』鍋谷堯爾訳、いのちのことば社
[5]唄野隆(1995年)『主にあって働くということ』いのちのことば社
[6]宇田進他編(1991年)『新キリスト教辞典』いのちのことば社
[7]山崎龍一(2004年)『クリスチャンの職業選択』いのちのことば社
[8]ケネ・E・ヘーゲン『クリスチャンの繁栄』エターナル・ライフ・ミニストリーズ
[9]D・M・ロイドジョンズ(1985年)『働くことの意味』鈴木英昭訳、いのちのことば社
[10]唄野隆(1979年)『現代に生きる信仰』すぐ書房
[11]ルーク・カラサワ(2001年)『真理はあなたを自由にする』リバイバル新聞社
[12]ヘンドリクス・ベルコフ(1967年)『聖霊の教理』松村克己&藤本冶祥訳、日本基督教団出版局
[13]ピーター・ワグナー(1985年)『あなたの賜物が教会成長を助ける』増田誉雄編訳、いのちのことば社
[14]ケネス・C・キングホーン(1996年)『御霊の賜物』飯塚俊雄訳、福音文書刊行会
[15]エドウィン・H・パーマー(1986年)『聖霊とその働き』鈴木英昭訳、つのぶえ社
[16]遠藤嘉信(2003年)『ヨセフの見た夢』いのちのことば社
[17]唄野隆(1986年)『主に仕える経済ライフ』いのちのことば社
[18]東方敬信(2001年)『神の国と経済倫理』教文館
[19]E・P・サンダース(2002年)『パウロ』土岐健治&太田修司訳、教文館
[20]松永真里(2001年)『なぜ仕事するの?』講談社
[21]厚生労働省編(2005年)『労働経済白書(平成一七年版)』国立印刷局発行
[22]ダニエル・フー「Goal-Setting」、国際ハガイセミナー資料(2005年、シンガポール)
[23]ジョン・ビョンウク(2005年)『パワーローマ書』小牧者出版
[24]ジョン・エドムンド・ハガイ(2004年)『聖書に学ぶリーダーシップ』小山大三訳、ハガイ・インスティテュート・ジャパン
[25]国際ハガイセミナー資料(シンガポール、2005年7月)
[26]ポール・J・マイヤー(2003年)『成功への25の鍵』小山大三訳、日本地域社会研究所
[27]国内ハガイセミナー資料(名古屋、2004年11月)
[28]三谷康人(2002年)『ビジネスと人生と聖書』いのちのことば社
[29]安黒務(2005年)「組織神学講義録、人間論及び聖霊論」関西聖書学院
[30]平野誠(2003年)『信念を貫いたこの7人のビジネス戦略』アイシーメディックス
[31]マナブックス編(2004年)『バイブルに見るビジネスの黄金律』いのちのことば社
[32]マナブックス編(2006年)『バイブルに見るビジネスの黄金律2』いのちのことば社
[33]山岸登(2005年)『ヤコブの手紙 各節注解』エマオ出版
[34]野田秀(1993年)『ヤコブの手紙』いのちのことば社
[35]デイビッド・W・F・ワング(2008年)『最後まで走り抜け』小山大三訳、岐阜純福音出版会
(その他の参考資料)
・林晏久編(2004年)『刈り入れの時は来た—ビジネスマン・壮年者伝道ハンドブック』いのちのことば社
・大谷順彦(1993年)『この世の富に忠実に』すぐ書房
・H・F・R・キャサーウッド(1996年)『産業化社会とキリスト教徒』宮平光庸訳、すぐ書房
・鍋谷憲一(2005年)『もしキリストがサラリーマンだったら』阪急コミュニケーションズ
・マックス・ヴェーバー(1989年)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』大塚久雄訳、岩波書店
・小形真訓(2005年)『迷ったときの聖書活用術』文春新書
・ウォッチマン・ニー(1960年)『キリスト者の標準』斉藤一訳、いのちのことば社
・ロナルド・ドーア(2005年)『働くということ』石塚雅彦訳、中公新書
・共立基督教研究所編(1993年)『聖書と精神医学』共立基督教研究所発行
・生松敬三(1990年)『世界の古典名著・総解説』自由国民社
・バンソンギ「キリスト教世界観」石塚雅彦訳、CBMC講演会資料(2005年)
・William Nix, 『Transforming Your Workplace For Christ』, Broadman & Holman Publishers, 1997
・ミラード・J・エリクソン(2005年)『キリスト教神学』第三巻、伊藤淑美訳
・ヘンリー・シーセン(1961年)『組織神学』島田福安訳、聖書図書刊行会
・ジョージ・S・ヘンドリー(1996年)『聖霊論』一麦出版社
・ウィリアム・ポラード(2003年)『企業の全ては人に始まる』大西央士訳、ダイヤモンド社
◇