1. 批判は気楽だ
映画「レミーのおいしいレストラン」の最後で、料理評論家のイーゴが、言いました。
「評論家とは気楽な稼業だ。リスクもなく、好きなことを言えるのだから。辛口の批評は読者にとって痛快ですらある。しかし、われわれは知るべきだ。どんなに平凡な料理家の仕事も、評論家の仕事より、はるかに意味があるということを」
何かを「批判する」より「作り出す」ほうが、よっぽど大変だ、ということです。
そういえば、中島みゆきも「戦う君のことを、戦わないやつが笑うだろう」と歌っていました。フィールドで戦う少数の人と、外野席であら捜しする多数の人。これは昔から変わらない構図です。
2. 人が作ったものにケチばかりつける人
内村鑑三という人物に、私は私淑しています。
内村鑑三は、明治、大正、昭和と「無教会主義」を掲げて活動し、多くの批判をあび、蔑(さげす)まれる経験をした人です。今でこそ「日本を代表するキリスト者の1人」として尊敬されていますが、内村は存命中、多くの批判を受けました。
特に、クリスチャンの中から、いわれのない批判をされました。(同業者からこそ中傷を受ける、というのは、時代や業界を問わないのでしょうか)
それでも、内村鑑三は批判に屈することをせず、「聖書之研究」という雑誌を作り続けました。内村は「批評家」という言葉を書いています。
<批評家>
批評せらるる者となれよ、 批評するものとなるなかれ。
前者はある物を社会に供せしがゆえに批評せらるるなり。後者は何物も供するあたわざるがゆえに、ただ他の人が供せし物につきて批評を加うるのみ。
二者の別は製作者と消散者との別なり。
人が一生懸命作ったものを「あれはダメだ」と批判ばかりする人間になるな、ということです。批判・中傷をあびながらも、道なきところに道を作ってきた内村鑑三の信念がこもっています。
3. 本来の人間は、作り上げる
「初めに神は、天と地を創られた」(旧約聖書・創世記1:1)とは、聖書の最初の言葉です。
創造主たる神様の性質は、無から有を作ることです。そして「神のかたち」に似せてつくられた私たち人間も、本来「無から有を建て上げる」ようにデザインされています。
しかし、「罪」の故に、私たち人間は、作る側でなく、批判や文句を言う側になってしまいました。ここで「良き知らせ」があります。キリスト・イエスご自身が私たちの罪と恥を消してくださいました。
それ故に、私たちは、本来神様からいただいた「作り上げる」性質に変えられます。そして、キリストが、勇士として私たちのただ中におられ、「建て上げる」ために、私たちと一緒に戦ってくれるのです。
もはや、私たちは、批判をする側、傍観者として嫌みを言う側でない。むしろ、 新しい命が息吹かれ「作る」「建て上げる」側に変えられていく。これが福音の力です。
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