「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。・・・そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。・・・主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです」(ヘブル人への手紙2章14節~18節)
1. 死の恐怖につながれた奴隷の私たち
人間的な観点からは、道徳心や倫理観の強い“立派な人格者”はたくさんいます。しかし、聖書に「義人はひとりもいない」とあるように、神の前で義と認められるような正しさを持つ人は一人もいないのです。誰もが罪人であり、悪魔の奴隷であり、死の恐怖につながれて滅んでいたのです。テロリストに捕らえられているわけでもなく、多少の心配はあっても平穏無事な生活を送ることができていて、自分は違う、と思うかもしれません。しかし、それは体が拘束されているかどうかの問題であり、魂、霊的な部分においては、神の愛とキリストの犠牲なしには、悪魔の奴隷のまま死の恐怖につながれて滅びるだけの者であったことを素直に認めようではありませんか。
2. キリストの身代わりの死による解放
私たちと同じ肉体を持ってお生まれくださったイエス・キリストが、十字架にかかって罪をなだめるための身代わりの死を遂げられたことにより、私たち人間を罪の力、悪の奴隷状態から解放してくださいました。私たちが受けるべきのろい、裁きをすべて身に負って、死んで下さったのです。これは、聖書が語る最も大きな事件であり、人類の歴史上最大の出来事です。
3. 私たちも受けられる十字架の救いと恵み
キリストご自身が、私たちと同じようになられて苦しまれたので、同じような苦しみや弱さを持つ私たちを助けることがおできになります。弱さ、足りなさがいっぱいある私たちも救われるのです。世の中には悪の力、罪がはびこっています。キリストの愛、神の救いをいただかなければ、その冷たさ、辛さ、空しさから解放されないのです。ただ知識としてではなく、イエス・キリストが私を愛して救ってくださり、作り変えてくださる十字架の恵みを自分のものとしていただこうではありませんか。
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万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。