教会の暦では、秋の収穫を与えて下さった主に感謝する「感謝祭(Thanksgiving Day)」のあと、クリスマスの4週間前の日曜日のアドベントからクリスマスの時期です。しかし商業主義の日本では、キリスト教とは全く関係のない、悪霊払いのハロウィンで盛り上げた後、世の中はすぐにクリスマス。豪華な飾り付けや美しい讃美歌の流れる街に、イエスがおられないことを寂しく思います。中国では、妻の整形を知らずに結婚した男性が、生まれた子供の醜さにショックを受け、妻を訴え、それが認められるという悲しいニュースがありました。私たちのクリスチャン生活も、見かけだけで終わることなく、イエスのおられる生活でありますように。
今日の聖書箇所のように、イエスが来られたということは、神の国が実現したということであり、その証明として、悪霊の追放と病のいやしが伴うのです。
実際にイエスがおられると、どうなるのでしょうか。
1.どこででもいやしの御業が伴う
ペテロの家に来られたとき、しゅうとめが熱を出して苦しんでいるのを見たイエスは、手を置いていやされました。夕方になって運ばれてきた病人も全ていやし、悪霊を追放されます。そしてこれは、イザヤの預言の成就だと書かれています。
イエスは、救い主として現れたとき、文字通り苦しみを背負い、自らが私たちの代わりに苦しんで下さったのです。深い愛と大きな使命を持った救い主キリストが人々の病を背負われ、イエスのおられるところにはどこででも、いやしと霊的解放があるのです。
2.教会があるところにはいやしが伴う
第一ペテロ2章22節~25節にあるように、イエスが天に昇られ数十年が経った初代教会においても「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」と語られ、イエス・キリストの教会には、罪の赦しと病のいやしが実現していました。御霊なる主の教会が存在するところには常にいやしが当たり前に起こるのです。教会の中には常に聖霊が働き、イエスの打ち傷のゆえに罪の赦しと病のいやしが存在したのです。
3.直接与えられる御言葉でいやされる
イザヤ書53章1~6節には、私たちの罪、苦しみを代わりに背負って下さる苦難のしもべとしてのイエスの姿が描かれています。私たちの抱える弱さ、霊的トラブルを全て背負って下さるのです。むち打たれ釘を刺し通されたその一つ一つの傷により私たちは罪赦されました。この預言の言葉を自分のものとして受け止めましょう。
この預言はイエスの誕生によって2000年前に実現しましたが、今、私の内側でも成就した私のための預言でもあるのです。彼の傷によって私たちはいやされたのです。
単に聖書に書かれているというだけでなく、今も生きて働き私たちに恵みの作用をもたらすものです。この恵みを受け取る者となりましょう。常にイエスが私たちのど真ん中にいて下さり、イエスの痛み苦しみによって私たちの病は癒される。これを実体験しましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。