震災を通して思うこと
2011年3月11日午後2時46分、東日本の太平洋沿岸部の500キロメートルにも及ぶ広い範囲に、我が国の有史以来最大規模とも言える、マグニチュード9・0の巨大地震に伴う未曾有の津波が襲いかかった。死者・行方不明者約1万8500人、重・軽傷者約6千人、流失家屋や建物の全・半壊20万戸以上、押し流され破壊した船舶約1万9千隻、被害を受けた農地約2万4千ヘクタール。しかし、被害はこれだけでは収まらなかった。津波による福島第1原子力発電所の電源設備の破壊による冷却機能低下と、これに伴い引き起こされた水素爆発による原子炉建屋の破壊及び放射能漏れ。更に放射能の危険に伴う、広範囲に及ぶ人々の避難と農作物への放射能汚染、等々、数え上げればきりがない程の甚大な被害を、東日本の太平洋沿岸部の人々は被った。
それは、すべてが私たちの想定を越えるものであり、言語を絶するとか、あるいは呆然自失という言葉がぴったりあてはまる程の、余りに巨大な自然災害であった。マスコミで流される被害の状況を見て、多くの人々が、自分の生きている間にこんなことが起きるのかという言葉を口にし、そして直接的な被害を受けた方々は勿論のこと、多くの日本国民が悲しみに沈み、同胞の痛みを自分の痛みと感じ、また涙を流した。実際に津波に遭われ家族を失った人々、あるいは自宅や職場を失った人々の悲しみは、いかばかりかと思う。被災地について書かれたある方のレポートの中に、「着の身着のままで、このバッグ一つを持って逃げた」「親族で10人亡くなり、3人が行方不明、9回も葬式をした」「自分は首まで水に浸かったが、旦那は(津波に)持っていかれてしまった」「家が(津波に)とられた」「震災後初めて外に出た」「会社が流された。従業員をどう養っていったらいいか」――次々と、どう応じたらよいか分からないような被災状況が語られた、とあった。震災直後には、多くの被災に遭われた方々が、これは夢であって欲しいと願われ、また実際に夢の中を歩んでいるような思いで過ごしておられたのではないかと思う。
しかし早いもので、悪夢と思えるそのような時から、すでに4年近くが経過した。それでも、被害の規模や程度が余りにも大きかったため、震災の様々な記憶はまだ私たちの内に生々しく残っている。この記憶は、恐らく今後相当の期間、いや死ぬまで消えることはないであろう。ただこの間になされた様々な復興・復旧への支援活動に伴い、多くの被災された方々が、避難所から自宅や仮設住宅、またその他の色々の場所に移って行かれ、被災地は、見かけ上は、かなり落ち着きを取り戻してきているように思われる。その反面、被災された方々御自身は、外面的には生活を再構築するという厳しい現実に、また内面的には受けた心の痛みや傷や喪失感を乗り越えるという困難な歩みに直面せざるを得ない状況に置かれ、震災直後よりむしろ辛い立場に置かれている方々が多いのではないかと、胸の痛む思いである。ただただ、被災された方々の今後の人生が、多くの方々のご支援やご協力もあって、祝福された、また心豊かで充実した歩みへと回復されるよう、心から願う者である。そのために、今後とも祈りと支援を、多くの方々と共に、長期間に亘って続けて行かなければならないと思わされている。また同時に、震災によって亡くなられた多くの方々の死を決して無駄にすることがないためにも、この試練・苦難が語りかける教訓をしっかりと受け止め、それを今後の自分たちの人生に生かして行かなければならないとも、改めて思わされている。
では私たちは、この大震災からどのような教訓を学ぶべきなのだろうか。学ぶべき教訓は本当に多くあると思う。しかしここでは、私自信が与えられた3つの基本的な教訓だけを述べるに留めたいと思う。
《 参考文献を表示 》 / 《 非表示 》
(参考並びに引用資料)
[1]門谷晥一(2006年)『働くことに喜びがありますか?』NOA企画出版
[2]ジョン・A・バーンバウム、サイモン・M・スティアー(1988年)『キリスト者と職業』村瀬俊夫訳、いのちのことば社
[3]山中良知(1969年)『聖書における労働の意義』日本基督改革派教会西部中会文書委員会刊
[4]カール・F・ヴィスロフ(1980年)『キリスト教倫理』鍋谷堯爾訳、いのちのことば社
[5]唄野隆(1995年)『主にあって働くということ』いのちのことば社
[6]宇田進他編(1991年)『新キリスト教辞典』いのちのことば社
[7]山崎龍一(2004年)『クリスチャンの職業選択』いのちのことば社
[8]ケネ・E・ヘーゲン『クリスチャンの繁栄』エターナル・ライフ・ミニストリーズ
[9]D・M・ロイドジョンズ(1985年)『働くことの意味』鈴木英昭訳、いのちのことば社
[10]唄野隆(1979年)『現代に生きる信仰』すぐ書房
[11]ルーク・カラサワ(2001年)『真理はあなたを自由にする』リバイバル新聞社
[12]ヘンドリクス・ベルコフ(1967年)『聖霊の教理』松村克己&藤本冶祥訳、日本基督教団出版局
[13]ピーター・ワグナー(1985年)『あなたの賜物が教会成長を助ける』増田誉雄編訳、いのちのことば社
[14]ケネス・C・キングホーン(1996年)『御霊の賜物』飯塚俊雄訳、福音文書刊行会
[15]エドウィン・H・パーマー(1986年)『聖霊とその働き』鈴木英昭訳、つのぶえ社
[16]遠藤嘉信(2003年)『ヨセフの見た夢』いのちのことば社
[17]唄野隆(1986年)『主に仕える経済ライフ』いのちのことば社
[18]東方敬信(2001年)『神の国と経済倫理』教文館
[19]E・P・サンダース(2002年)『パウロ』土岐健治&太田修司訳、教文館
[20]松永真里(2001年)『なぜ仕事するの?』講談社
[21]厚生労働省編(2005年)『労働経済白書(平成一七年版)』国立印刷局発行
[22]ダニエル・フー「Goal-Setting」、国際ハガイセミナー資料(2005年、シンガポール)
[23]ジョン・ビョンウク(2005年)『パワーローマ書』小牧者出版
[24]ジョン・エドムンド・ハガイ(2004年)『聖書に学ぶリーダーシップ』小山大三訳、ハガイ・インスティテュート・ジャパン
[25]国際ハガイセミナー資料(シンガポール、2005年7月)
[26]ポール・J・マイヤー(2003年)『成功への25の鍵』小山大三訳、日本地域社会研究所
[27]国内ハガイセミナー資料(名古屋、2004年11月)
[28]三谷康人(2002年)『ビジネスと人生と聖書』いのちのことば社
[29]安黒務(2005年)「組織神学講義録、人間論及び聖霊論」関西聖書学院
[30]平野誠(2003年)『信念を貫いたこの7人のビジネス戦略』アイシーメディックス
[31]マナブックス編(2004年)『バイブルに見るビジネスの黄金律』いのちのことば社
[32]マナブックス編(2006年)『バイブルに見るビジネスの黄金律2』いのちのことば社
[33]山岸登(2005年)『ヤコブの手紙 各節注解』エマオ出版
[34]野田秀(1993年)『ヤコブの手紙』いのちのことば社
[35]デイビッド・W・F・ワング(2008年)『最後まで走り抜け』小山大三訳、岐阜純福音出版会
(その他の参考資料)
・林晏久編(2004年)『刈り入れの時は来た—ビジネスマン・壮年者伝道ハンドブック』いのちのことば社
・大谷順彦(1993年)『この世の富に忠実に』すぐ書房
・H・F・R・キャサーウッド(1996年)『産業化社会とキリスト教徒』宮平光庸訳、すぐ書房
・鍋谷憲一(2005年)『もしキリストがサラリーマンだったら』阪急コミュニケーションズ
・マックス・ヴェーバー(1989年)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』大塚久雄訳、岩波書店
・小形真訓(2005年)『迷ったときの聖書活用術』文春新書
・ウォッチマン・ニー(1960年)『キリスト者の標準』斉藤一訳、いのちのことば社
・ロナルド・ドーア(2005年)『働くということ』石塚雅彦訳、中公新書
・共立基督教研究所編(1993年)『聖書と精神医学』共立基督教研究所発行
・生松敬三(1990年)『世界の古典名著・総解説』自由国民社
・バンソンギ「キリスト教世界観」石塚雅彦訳、CBMC講演会資料(2005年)
・William Nix, 『Transforming Your Workplace For Christ』, Broadman & Holman Publishers, 1997
・ミラード・J・エリクソン(2005年)『キリスト教神学』第三巻、伊藤淑美訳
・ヘンリー・シーセン(1961年)『組織神学』島田福安訳、聖書図書刊行会
・ジョージ・S・ヘンドリー(1996年)『聖霊論』一麦出版社
・ウィリアム・ポラード(2003年)『企業の全ては人に始まる』大西央士訳、ダイヤモンド社
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)
(15)(16)(17)(18)(19)(20)(21)
◇
門谷晥一(かどたに・かんいち)
1943年生まれ。東京大学工学部大学院修士課程卒業。米国ミネソタ州立大学工学部大学院にてPh.D.(工学博士)取得。小松製作所研究本部首席技監(役員待遇理事)などを歴任。2006年、関西聖書学院本科卒業。神奈川県厚木市にて妻と共に自宅にて教会の開拓開始。アガペコミュニティーチャーチ牧師。著書に『ビジネスマンから牧師への祝福された道―今、見えてきた大切なこと―』(イーグレープ)。