小学生のころ、ある高校生が言ったことばを今でも覚えている。「僕は絶対に商人にはならないよ。だって商人は、安く買った物を人に高く売りつけるからだよ。そういう汚い事は僕には出来ない」と彼は言った。そのころ「搾取」ということばを知らなかったが、今考えると、彼は「儲け」を「搾取」と勘違いしていたようだ。
経済の仕組みを知らない若者だけがそんなことを言うのかと思ったが、実は今でも大勢の人たちが似たような考えをしている。進学や就職の進路決定の背後に、そういう発想が見え隠れする。進学の最終目標は良い職を得ることだが、良い仕事とは、どうやら儲けなくてすむ仕事のようである。すなわち直接的な商品の売り買いにより、「差額」を儲ける仕事でない職業を意味する。
儲けと関係なさそうで、安定した仕事として、公務員、大手企業の社員、医者、弁護士、大学教授などがある。そんな職を手に入れるために、幼稚園前から受験戦争に巻き込まれる子どもたちが多い。教会でも、そんな受験生のためのお祈りをしたり、新卒者が良い仕事に就いた時に、祝辞を述べたりする。そういう立派な仕事に就いた人が、たとえば教会で自分の仕事の話をした場合、耳を傾ける人はいても、不快感を示す人は少ない。でも商人やセールスマンが仕事の話をすると、「教会では商売の話をしないで下さい」と非難されたりする。片方が儲けと関係無い仕事で、もう片方が儲ける仕事と思われているからだ。
でも「儲ける」ことは「搾取」とは違うし、第一、儲けと無縁な仕事など存在しない。体の各肢体に色々な働きがあるように(コリント人への手紙第一12:12~27)、仕事にも色々な種類があって、それぞれが補い合っている。直接的にお金と差額を扱う商人やサラリーマンもいれば、差額が回りまわって月給、税金、授業料、医療費、献金というような呼び名に変化したお金で生活をする職業の人もいる。公務員であろうが、総務の仕事をしている人であろうが、献金生活者であろうが、「富の差額」で生きていることに間違いはない。事実、聖書には儲けの話がたくさんある(マタイの福音書25:14~30)。儲けは搾取ではないから、不正を行うので無い限り、どんな仕事も同じに評価されなければならない。
売る人と買う人が合意すれば、たとえ暴利と思われるような儲けでも正当的であり、搾取とはならない。ゴッホの絵が、オークションで、100億円で日本人に落札されたことがあった。でも100億円を手にした人は、誰からも非難されることはなかった。私の友人の便利屋さんは、1時間話し相手になっただけで、依頼人から100万円の謝礼をもらったことがある。それも搾取ではない。なぜなら依頼人が納得して渡した金額だから。「搾取」とは、相手に真相がわかったら怒り出すような「儲け」を意味する。金額だけに限らない。不必要な薬を患者に売りつけるのも、勤務中にパソコンでゲームを楽しむのも、授業をさぼって講演会で話をして謝礼をもらう教授の行為も、みな「搾取」となる。
■ 富についての考察:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)(15)(16)(17)(18)(19)(20)(21)(22)(23)(24)(25)(26)(27)(28)(29)(30)(31)(32)
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木下和好(きのした・かずよし)
1946年、静岡県生まれ。文学博士。東京基督教大学、ゴードン・コーウェル、カリフォルニア大学院に学ぶ。英会話学校、英語圏留学センター経営。逐次・同時両方向通訳者、同時通訳セミナー講師。NHKラジオ・TV「Dr. Kinoshitaのおもしろ英語塾」教授。民放ラジオ番組「Dr. Kinoshitaの英語おもしろ豆辞典」担当。民放各局のTV番組にゲスト出演し、「Dr. Kinoshitaの究極英語習得法」を担当する。1991年1月「米国大統領朝食会」に招待される。雑誌等に英語関連記事を連載、著書20冊余り。