聖書は、混乱する世の中で、理解と希望を与え、特に主を信じ、御言葉によって歩む私たちに新しい光を差し込ませてくれます。世界の超ベストセラーである聖書の最大のテーマは何かと問われると、どのように答えますか。私は、聖書最大のテーマは、次のような視点や話題と関係していると思われます。
1. 聖書最大のテーマとなる基準
- 世界のあらゆる人々、言語、民族、地域、時代に関わること
- 人間の諸問題の根底にある根本問題とその解決
- 世界の歴史の展開と将来の展望
- 唯一真の神の最大の関心事、神の栄光と、万物創造の目的
- 聖書の各箇所の統合および調和
- 今も現在進行形で進み、これから全世界、全宇宙が直面すること
- 聖書をよく読む人々を納得させる主題
- 聖書の啓示の頂点に立つ4福音書の主題
2. 聖書最大のテーマとは?
聖書最大のテーマは、聖書神学、特に新約神学の最重要テーマです。このテーマは、世界中の御言葉を愛する聖徒たち、牧師、聖書学者、聖書研究者の関心の的で、多くの本、記事、論文が書かれています。各種のAIによる回答での検討も参考になります。
福音書記者として選ばれた、マタイ、マルコ、ヨハネ、そして、福音書に続いて使徒の働き(使徒言行録)の著者ルカも、私たち以上にこのテーマに関心があり、その線に沿って、福音書を構成していると推測されます。
3. 聖書最大テーマのヒントを使徒の働きの原文で探す
使徒の働き1章1、2節は、ルカ福音書のまとめです。使徒1章3節には、よみがえった主イエスが40日間現れて使徒たちに語った言葉について、その導入がこう書かれています。
イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
ギリシャ語原文を、インターリニアで表示します。

このギリシャ語文には、日本語では読み取ることのできない、原文ならではの特徴的なギリシャ語が使われています。それらはいずれも、新約聖書に1回だけしか使われていない、ある意味で特別なギリシャ語です。
第一は、「ὀπτανόμενος(ホプタノメノス)」の原形「ὀπτάνομαι(オプタノマイ)」です。この語は、「ὄπωπα(ホプトーマ)」から作られた新しい動詞で、「見た、そしてその体験の結果を今も保持している」 という完了の意味が含まれた「~に見える、~に現れる」を意味しています(※)。
復活後の主イエスは、一般の人には決して見られることのない、死に支配されることのない存在、特別な次元の存在になりました。そのことは、ルカ24章、ヨハネ20章に見られるように、使徒たちの間に突然現れたり、消えたり、Ⅰコリント15章6節に「キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れた」と書かれていることから明確に知ることができます。
ですから、復活の主イエスが現れるとは、天使が現れる以上の重みを持つ神顕現として理解できます。
現在形分詞であることから、よみがえってから40日間にわたって連続的、継続的に弟子たちに現れたことで、弟子たちの主イエスに対する見方、考え方が、十字架前までのものとは全く異なったものへと変えられていったと想像することは、当然のことと思われます。
また、この動詞が能動態であることから、主イエスが、自ら主権的に、自分から見られることをなさっていること、それ故、意図的に明確な目的を持った、神の側の行為であることを示しています。
第二は、「τεκμηρίοις(テクメーリオイス)」の原形、「τεκμήριον(テクメーリオン)」です。この語は古代ギリシア語では、反論の余地がほぼない証拠、論証を確定させる根拠、真理を決定づける確証を意味し、「確信させていく決定的な証拠」を意味しています(※)。
「多くの」という形容詞が付いているので、ルカ24章41〜43節にあるように「焼いた魚」を弟子たちの前で食べたり、ヨハネ20章27節で疑い深いトマスに「わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい」と言われたりしています。
4. 使徒の働きの冒頭部の2つの語から分かること
A)使徒たちにとっては
1)「死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリスト」(ローマ1:4)から直接与えられた数多くの客観的証拠によって、決して撤回できない歴史的事実の上に立つ者たち、選ばれた者たちとしての自覚と人格形成がなされていきました。
2)権威を与えられた使徒の資格条件としての「キリストの復活の証人」としての立場を与えられました。
B)「使徒の働き」の書にとっては
使徒の働きの1章3節「四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、主イエス・キリストのことを教えた」から、主題として「神の国」が鮮明に浮かび上がってきます。

「λέγων」は、「λέγω(レゴー:言う)」の現在形分詞なので、40日間にわたって、継続的に語り続けたことが示されています。その話題が「神の国について」です。前置詞「περί」は、以下の図のように、周囲にいくつもの対象が配置されていることを示す「~について」です。

このことは、「τὰ περί(タ ペリ)」の冠詞「τὰ(タ)」は中性複数であり「τῆς βασιλείας τοῦ θεοῦ:神の国」に複数の項目があることを示し、前置詞「περί」で示唆されている諸項目と対応しています。こうして、前面に出てきたテーマは「神の国」で、使徒の働きの最後の節(28:31)では、「神の国を宣べ伝え続け(κηρύσσων)、とりわけ(καί)、主イエス・キリストについて(περί)教え続けた(διδάσκων)」(私訳)と結ばれています。
C)使徒の働きは、いわば、表紙が復活のイエスが語り続ける「神の国」、裏表紙が使徒パウロの語り続ける「神の国」、中心の内容が「主イエス・キリストについて」である一冊の書物と見ることができるのではないでしょうか。
5.「神の国」こそ、聖書最大の中心主題
「神の国」を中心軸として、創世記からヨハネの黙示録まで聖書全体を概観するとき、以下のような構成になっているのを確認できます。
a)旧約聖書は、神の国の原型、幕屋とダビデ王国で示された予型、メシア王による回復と諸国民への拡大、最終的完成の預言を示す準備の書。
b)新約聖書は、神の国到来の宣言、その力の現れ、例えによる今の状態の説明、全世界への拡大と影響、世の終わりと神の国の完成を示す書。神の国の王はナザレのイエスで、十字架と復活によって神の子であることを公に宣言し、救い主、王の王、主の主、全世界の裁き主であることを示す書。
6. 福音書の構成が示す最大テーマは「キリストが王なる神の国」
よみがえった主イエスが、弟子たちに40日間も「神の国」を語ったことをじっくり考えるとき、弟子たちは、神の国には数多くの項目があること、神の国はこの世のものではなく、永遠に続く国であること、聖霊による力の付与によって、やがて自分たちもイエス様のような働きをして福音を広めること、キリスト中心の旧約聖書理解などで心が燃やされていったのではないかと想像されます。それがやがて、「神の国」が福音書の中心として構成されていったことにつながったと思われます。
マタイ福音書は、天の御国の5大説教(5〜7、10、13、18、24〜25章)を骨子に構成されている御国の福音の書であり、マルコ福音書は、1章1節で書名が示すように、「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」、ルカ福音書は、この世の王国を視野に置きつつ、神の国が既に到来し、間もなく完成するので、救いに入るように悔い改めるよう招いています。続く使徒の働きは、エルサレムから帝国の中心ローマへの御国の拡大の書ということができます。
神の国の諸相と御言葉との関係などについても、今後考察していく予定です。
(※)BDAG(Bauer–Danker–Arndt–Gingrich)ギリシャ語レキシコン(辞書)
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