キリストの復活ほど、キリストの福音を特別かつ天的なものとする出来事は他にありません。アダム以来、地上に現れた人の中で、死んだ後に復活して生きている人は、キリスト以外誰もいません。ブッダも、孔子も、マホメットも、世界帝国の王たちも、哲学者たちも、死んだ後によみがえって生き続けていることはありませんでした。このキリストの復活こそ、他の諸宗教とは全く異なる、天下で唯一キリスト教だけの特徴です。
キリストの復活は歴史的事実
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書は全て、キリストの復活がクライマックスになっています。逆にいえば、4つの福音書全てが、キリストの復活の視点から書かれています。
キリストの復活は、キリストについてきた弟子たちでさえ、当初あり得ないことと見なしていました。しかし、死んだキリストのからだが安置された墓には、キリストのからだがなく、キリストの死んだからだを覆っていた衣と、頭に巻かれた布が巻かれたままで置かれていました(ヨハネ20:7)。「墓にはキリストのからだがなかった」のです。
しかし、聖書の中で初登場する表現「週の初めの日」(マタイ28:1他)以降、主イエスがよみがえった姿でご自身を弟子たちに現されたこと、主のからだに触ったこと、一緒に食べたことなどを通して、弟子たちは主が本当に生きていることの確信を強くされました。
キリストの復活から約30年経過したときに、使徒パウロはⅠコリント15章で、キリストの復活を否定する人々に対して論陣を張りました。仮定として、もし死者の復活がないなら、キリストも復活せず、キリストの復活がないなら、宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになる。それどころか、私たちは神について偽証をした者になり、全ての人の中で一番哀れな者になると語りました。
復活の章とも呼ばれるⅠコリント15章では、ἐγήγερται(エゲーゲルタイ、「よみがえらされた」の意、ἐγείρω[エゲイロー]の完了形受動態3人称単数)が、7回連続で使われています。その7番目の箇所が、「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中かよみがえられました」(20節)です。

ここで、「よみがえり」「復活」の基本的な理解のために、BDAG(Bauer–Danker–Arndt–Gingrich)ギリシャ語レキシコン(辞書)から、ギリシャ語で「よみがえり」を表す単語の意味を紹介します。
A)ἐγείρω(エゲイロー)
① 眠りから目覚めさせる、起こす、呼び起こす
② 眠りから覚める、目が覚める
③ 援助を提供する人の位置よりも低い位置から立たせる、起こす、立ち上がるのを助ける
④ 立つ位置に移動する、起き上がる、立ち上がる
⑤ 存在に至らせる、起こす、存在させる
⑥ いのちに戻らせる、よみがえらせる(古代人は死を眠りと密接に関連付けていた)イエスの復活について 使5:30;10:40;13:37;Ⅰコリ6:14;15:15等
⑦ 復活の結果として、いのちの状態に入る、またはいる、よみがえる、立ち上がる、受動態自動詞、死んだ者について
⑧ 病気から立ち直らせる、立ち直らせる=健康を回復する(病人は通常横たわっている)
⑨ 以前の良い状態または状態に変える、回復する、建てる、建物について
⑩ 抵抗を克服する努力をすることで、その位置から何かを動かす、持ち上げる
⑪ 敵対して立ち向かう、立ち上がる
⑫ 現れる、出現する
⑬ 固定された位置からの動きを引き起こす 命令で「起きろ!」「来い!」
B)ἀνάστασις(アナスタシィス)
動詞 ἀνίστημι(アニステーミ)は、ホメロスで既に一般的で、しばしば「(眠りから)起こす、目覚めさせる」や「(行動へと)駆り立てる」などの派生義を帯びる。ἀνίστημι(アニステーミ)が死者に適用される場合、結果として「(死者の中から)よみがえらせる、生き返らせる」という意味になる。自動詞として用いられる場合、一般的には「立つ、起きる」を意味するが、やはり文脈は多様である。すなわち、発言のために立ち上がる、目を覚ます、病気から回復する、生き返る、敵と戦うために立ち上がる、旅に出る。
① 地位のより良い変化、立ち上がり、起こり
② 死からの復活、復活 ⓐ 過去において:イエスの復活について 使1:22;2:31;4:33;ロマ6:5;ピリ3:10 ⓑ 将来の復活について マタ22:31;使23:6;24:15、21;26:23;Ⅰコリ15:12等
③ 多神教体系内の神性、復活の神
このように、ギリシャ語レキシコンから調べると、キリストのよみがえりとは、従来とは全く違う、新しい状態や立場に入ることであることが理解できます。使徒パウロは、そのことをこう語っています。
死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔(ま)かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。聖書に「最初の人アダムは生きた者となった」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。(Ⅰコリント15:42〜49)
ψυχικός(プシュキコス)と πνευματικός(プニューマティコス)
私たちはここで、なじみのない表現、「血肉のからだ」「御霊に属するからだ」「血肉のもの」「御霊のもの」に直面します。Ⅰコリント15:44のギリシャ語原文をインターリニア新約聖書で示すと、以下のようになります。

ここでは、ψυχικός(プシュキコス)とπνευματικός(プニューマティコス)が対比されています。
ψυχικός(プシュキコス)は ψυχή(プシュケー:魂)に関係し、πνεῦμα(プニューマ:霊、御霊)を中心的特徴とする経験の領域と対比して、自然世界のいのち、およびそれに属するものに関わるものです。支配原理が自然のいのち(魂)で、自然的、生まれつき、世俗的、霊的でなく、単に身体的に機能し、神の霊に触れられていない。それ故、神が分からない、限界があり、死に向かう在り方を指します。
πνευματικός(プニューマティコス)は、πνεῦμα(プニューマ:霊、御霊)に関係し、支配原理が神の御霊で、御霊によって生まれ、神のことに触れられ、神の御霊に促され、導かれ、生きていく、神の御霊で満たされた、神の御霊に適応した、または対応した、天上のいのちの在り方を指します。
このことをまとめた箇所が、「最後のアダムは、生かす御霊となりました」(Ⅰコリント15:45)です。最後のアダムであるキリストは、復活によって、人々に新しいいのちを分け与え、内側から生かす「いのちの源(プネウマ)」となられたのです。
祝福となる宿題
ここから、今話題の Claude などのAIに以下の問いを投げかけると、キリストの復活によるアッと驚く歴史的インパクトを発見することになります。少なくとも、私にはそうでした。ハレルヤ!
- キリストの復活の重大性を、歴史の流れ、他の人物、文化、世界への影響の視点から、10ポイントで論ぜよ。
- キリストの復活が、信仰者にもたらす益について、7ポイントで述べよ。
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