ローマ人への手紙12章11節で、「霊に燃える」ことに続く勧めは「主に仕えよ」です。ここでも、現在分詞形の命令的用法なので、意図していることは「主に仕え続けよ」「継続して主に仕えよ」、表現を変えると「主に仕えることで、筋を通しなさい」「主に仕えることにおいて、ますます前進し、向上しなさい」でしょう。
1.「仕える」ことは極めて重要
「仕える」ことは、教会も含め、現代社会ではあまり人気ランキングの上位にないように思われます。しかし聖書的には、「仕える」ことは極めて重要なことです。
信仰の偉人たち、モーセ、ヨシュア、ダビデ、預言者たち、そして、主イエスが「しもべ」として聖書に記録されています。イエス様は「ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられた」お方であり(ピリピ2:7)、弟子たちの足を洗うしもべ、家にいる奴隷の仕事を示し、それを実行して教えられました(ヨハネ13:15〜17)。
イエス様が来た目的は「仕えられるためにではなく、仕えるため」であり(マルコ10:44、45)、イエス様は、使徒たちを念頭に置き、偉くなりたい人たちへこう言われました。「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい」(マルコ10:43)
使徒たちもこの真理を実行し、使徒パウロはこう言いました。「私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです」(Ⅱコリント4:5)
2.「仕える」と訳されている4種類のギリシャ語
新約聖書の中心の書であるこのローマ人への手紙で、使徒パウロは、神の義の教理を展開した上で、12〜15章ではその教理を実生活に適用しています。ローマ人への手紙を一つの文でまとめると「神の義は礼拝・奉仕・従属としての『仕える生活』として現れる」となります。
神の義を実生活に適用する部分には、「仕える」と訳されているギリシャ語が4種類用いられています。
第一は12章1節の、霊的な「礼拝」と訳されている語ラトゥレイアで、その動詞形がラトゥレウオーです。パウロは、この手紙の冒頭でこう言っています。「私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神」(ローマ1:9)
この語は、礼拝することで神に仕えることを表す代表的な言葉です。主イエスは荒野の試みでこう言われました。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある」(マタイ4:10)。この語は、新約聖書全体で21回使われています。
第二は「仕えるためにエルサレムへ……」(ローマ15:25、新共同訳)でのディアコネオーです。これは実務的な奉仕を表す語で、他の箇所では「執事の務めをする」「給仕をする」「(賜物を用いて)奉仕する」などと訳されています。
第三は「異邦人が……もって彼らに仕える……」(ローマ15:27、口語訳)でのレイトゥルゲオーです。この語は、祭司たちの幕屋や神殿での奉仕を表すことによく用いられる語で、ヘブル人への手紙10章11節では「礼拝の務め」とされています。
そして、第四が12章11節で「仕えなさい」と訳されているギリシャ語デューレウオーです。この語は、奴隷・しもべ・ミニスターを意味するデューロスの動詞形です。
ローマ人への手紙の中でこの語は、他の「仕える」を表すギリシャ語とは比較にならないほど、重くかつ高頻度で展開される音色と響きを持っています。
使徒パウロは、ローマ人への手紙の最初の言葉をこう発しています。「パウロス デューロス クリストゥー イエスー」
語順通り直訳すると、「パウロ 奴隷(または、しもべ) イエス・キリストの」となります。
3. 当時のローマ社会で、奴隷を所有する、または奴隷であるとは
ローマ人への手紙が書かれた当時、ローマ社会は「奴隷社会」でした。イタリア半島(紀元1世紀)の総人口約600万人のうち、奴隷は200〜300万人(30〜50%)、つまり2〜3人に1人が奴隷でした。
都市部では、特に奴隷依存度が高く、中流家庭には3〜5人の奴隷、富裕層の家庭には数十人から数百人、超富裕層では数千人の奴隷がいたと言われています。その多くは戦争捕虜で、カエサルのガリア征服で100万人以上が奴隷になり、ポンペイウスの東方遠征では多数のユダヤ人も奴隷とされました。
海賊・奴隷商人による奴隷や、借金返済のために自ら奴隷となった人々もいました。捨てられた赤ん坊を奴隷として育てることもありましたし、奴隷から生まれた子も、自動的に奴隷となりました。デロス島の奴隷市場では当時、1日1万人を取引したとされています。
初代教会の多くの信徒が元奴隷または現役奴隷だったので、16章に出てくる30人の個人名(女性10人前後、男性20人前後)のうち、アンプリアトス、ウルバノス、ステキュスなどは奴隷名で、解放奴隷だった可能性が高いようです。
一口に奴隷といっても、社会の重要な構成員として、銀細工師、彫刻家、宝石加工職人、あるいは建築家といった高度な技術を持つ奴隷は大切にされました。家庭内奴隷が市場で物品を販売し、利益の一部を主人に納めつつ自己資金を蓄積できたり、主人から許可された範囲で蓄財を認められ、自分の財産を持つことができたり、家庭内での管理職を任される人、医師、教師、会計士、建築家などの専門職に就く人、さらには、音楽家、詩人、芸術家としての才能が認められれば特別な待遇を受けるなど、調べる人にとっては興味のある話題がたくさんあります。
奴隷にとって、主人がどんな人かが決定的に重要でした。良い主人に恵まれた奴隷は、家族形成の容認と支援、高度な教育機会の提供、社会的地位の向上、主人の代理権限、公共の場での栄誉、相続人への推薦など、考えられない可能性が開かれます。
4. 12章11節でデューレウオーが用いられている理由
12章11節で、奴隷・しもべとして仕えることを表すデューレウオーが用いられている第一の理由は、自分を生ける供え物としてささげた人々に対して語られているからです(ローマ12:1)。ここでは、自発的に自分の意志を働かせて、神のしもべ、神の奴隷となったことが前提とされています。
第二に、罪の奴隷であった状態から、主イエスの血という代価を払って買い取られて、今は、罪という主人ではなく、神が新しい主人として、私たちの所有者となってくださったからです。奴隷の身分は同じですが、隷属する主人が変わったのです。
この主人は、私たちがまだ敵であったとき、私たちを愛し、私たちのために死んでくださいました。決して恐怖を与えたり、脅したりすることはなく、しかも、その愛から引き離す力のあるものは何一つ存在しない、死からよみがえり、ローマ皇帝をはるかに超越する主として、ご自身を明らかにしてくださった神なのです。
第三は、聖霊を注ぎ、天からの超越的な賜物を与えてキリストのからだなる教会を建て上げ、「望みの神があなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださる」ことを体験させ(ローマ15:13)、ついには「平和の神がすみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださる」からです(同16:20)。
主にある最高の人生とは、主のしもべとして、王の王なる主に自分をささげ、主人の帰りを待つ賢いしもべとして歩むことだと確信しています(マタイ25章参照)。主に仕え続ける人々に開かれる栄光の世界が待っていると信じます。ハレルヤ。
◇
















