本書は、昨年10月20日に京都大学で、同23日に早稲田大学で、京都大学名誉教授、早稲田大学教授である岡真理氏が行った講義を書籍化したものです。「ハマースがイスラエルを襲撃した」と伝えられている同年10月7日の出来事を受けての緊急講義でした。「ガザとは何か」と題されていますが、ガザの現況という水上に出た氷山の一角のことから、パレスチナの歴史を含め、水面下にあるさまざまな問題までも扱う内容になっています。
私は神学校卒業直前の1992年に、いわゆる「聖地旅行」のためにイスラエルに行きました。私のイスラエル訪問は、その1回だけです。事前知識が乏しい中で行ったため、実際に現地で見聞きして驚いたことがいろいろありました。その一つがパレスチナ人居住区でした。今から30年以上も前のことですが、それでもイスラエルのユダヤ人居住区は洗練されていました。日本や欧州の市街地と変わらない街並みがそこにはありました。
しかし、イエスの育った町、ガリラヤのナザレに行ったとき、ガイドが「この町にはパレスチナ人居住区があります」と言うので、実際にそこを歩いてみたのです。ユダヤ人居住区とは道一本隔てただけであったと記憶しています。私は両者の違いに驚嘆してしまいました。パレスチナ人居住区の家々は粗末で、子どもたちの服装はみすぼらしく、ユダヤ人居住区とは雰囲気が全く違っていたのです。そうした光景は、日本の報道では見たことがないものでした。
そんな経験から、昨今のパレスチナ問題についても、「報道されていないことがあるのだろう」と思っていました。まさにその報道されていないこと、そして、日本に住む私たちの多くが学校などで教えられていないことを、著者は本書で伝えようとしているのだと思います。それらについて著者は、京都大学で行った緊急講義の最後の部分(101ページ)で、次のように述べています。
最低限、以下のこと、
- なぜパレスチナ人が難民となったのか
- イスラエルはどのように建国され、イスラエルとはどのような国なのか
- ガザの人々が、とりわけこの16年以上置かれてきた封鎖というものが、どういう暴力であるのか
これらを押さえていただければ、ハマース主導によるガザの戦士たちによる今回の越境奇襲攻撃というものが――そこに国際法上の戦争犯罪があったことを否定するものではないですが――、イスラエルが喧伝しているような、血に飢えたテロリストによる残忍な民間人を狙った殺戮(さつりく)などではない、もっと別の姿として見えてくると思います。
そのため、ここではこの3点に沿って、本書の内容をご紹介したいと思います。
なぜパレスチナ人が難民となったのか
20世紀前半に、欧州のキリスト教社会において続いてきた負の頂点として、ナチス・ドイツによるユダヤ人のジェノサイド(大量虐殺)、いわゆるホロコーストが起こりました。第2次世界大戦が終了した後、欧州ではホロコーストを生き延びたユダヤ人25万人が難民となっていました。
国連がその解決のために取った手段が、「シオニズム運動」の利用でした。シオニズム運動とは、19世紀末に起こった、世界中に離散していたユダヤ人たちが聖書時代の故郷パレスチナに帰還することを目指す運動でした。国連はユダヤ人難民の問題解決のため、パレスチナを分割し、それまでそこに住んでいたパレスチナ人のためのパレスチナ国家と、離散しているユダヤ人たちが帰還するためのユダヤ国家を造ろうと考え、委員会を発足させます。委員会が出した答えは、「それは無理だ」というものでした。それにもかかわらず、当時の旧ソ連と米国の多数派工作により、1947年に国連総会でこのパレスチナ分割案が可決されてしまいます。
国連がその決議をした後、パレスチナではその年に、ユダヤの民兵組織によるパレスチナ人の集団虐殺が起こります。この虐殺からほどない1948年5月14日、イスラエルはテルアビブで独立宣言を行います。その後、パレスチナ人に対する集団虐殺は加速していくことになり、それによってパレスチナ人難民が生じていくことになります。
イスラエルはどのように建国され、イスラエルとはどのような国なのか
前述したように、パレスチナ分割案が国連総会で強引に可決されてしまったわけですが、この分割では、ユダヤ国家の人口の4割をパレスチナ人が占めることになります。イスラエルの初代首相ダビド・ベングリオンは、ユダヤ人が人口の6割では安定的かつ強力なユダヤ国家にはならないと言いました。それは、ユダヤ国家の領土から、可能な限りパレスチナ人を排除することを意味したのです。
イスラエルは建国後に軍隊を組織しましたから、今度は民兵組織ではなくイスラエル軍が、パレスチナ人の集団虐殺を行うようになります。こうした民族浄化を、パレスチナ側では「ナクバ」と言っています。イスラエルという国は、こういったパレスチナ人に対する集団虐殺・民族浄化の上に造られたのだと著者は言っています(174ページ)。
さらに著者は、イスラエルはアパルトヘイト(人種隔離政策)国家であるとも言います(175ページ以下)。本書によれば、国際人権団体の中には、ハマースをはじめガザの諸組織、占領下のパレスチナ人は、アパルトヘイト国家のイスラエルと戦っている、としているところもあるのです。
ガザの人々が、とりわけこの16年以上置かれてきた封鎖というものが、どういう暴力であるのか
イスラエルが建国された1948年以後、パレスチナ人の領土はヨルダン川西岸とガザだけになります(55ページの図参照)。一方、パレスチナ人に対する民族浄化の結果、75万人以上のパレスチナ人が故郷を追われ、ヨルダン川西岸とガザ、そして周辺諸国などに難民として離散します。特に、ガザの難民キャンプには、今日までに多くのパレスチナ人難民が来ています。
67年の第3次中東戦争の結果、ヨルダン川西岸とガザなどはイスラエルに占領されます。そのため、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)やパレスチナ解放民主戦線(DFLP)のような武装解放組織が立ち上げられます。そして、さらに20年後の87年に、イスラム主義を掲げる民族解放組織のハマースがガザで誕生するのです。
93年のオスロ合意によって、イスラエルは占領していたヨルダン川西岸とガザから次第に撤退することになります。翌94年にパレスチナ自治政府が発足し、ヨルダン川西岸とガザの暫定自治が始まります。私がイスラエルに行ったのは92年ですから、訪れたヨルダン川西岸のエリコなどは、当時はまだイスラエルの占領下にあったことになります。
パレスチナ自治政府発足後、政権を担っていたのはファタハという政党でした。しかし、2006年の総選挙において、ガザで誕生したハマースが勝利し、ハマースによる組閣が行われました。ですが、イスラエルや米国は、ハマースをテロ組織と見なしてその政府を認めませんでした。それで、ハマースはファタハのメンバーも入れて統一政府をつくったのです。
ところが、本書によれば、米国やEU諸国は、ファタハに軍事訓練を施すとともに、武器や食糧を提供することで、ハマースとの内戦を起こさせます。この内戦はハマースが勝利しますが、パレスチナは分裂し、ヨルダン川西岸のファタハとガザのハマースという二重政権になってしまうのです(75~76ページ)。
このことは、私が読んだ限りでは、イスラエル出身のユダヤ人歴史家イラン・パペの著書『イスラエルに関する十の神話』の中でも述べられています。パペは、この内戦の責任はファタハ、ハマースの両者にあるとしているものの、欧米やイスラエルなどの外部勢力がファタハをけしかけた側面があると述べ、当時の状況やメディアにリークされた英諜報機関の文書などについて記しています(230~233ページ)。この書は、「〇〇については、このようにいわれているが、それは神話のようなものにすぎず、実際はそうではなくこうなのだ」というスタンスで書かれています。ユダヤ人であるパペが、自民族に対して自戒的に著している書です。
ファタハとハマースの二重政権になると、イスラエルと、イスラエルの同盟国であるエジプトは、ハマースを政権与党に選んだパレスチナ人に対する集団懲罰として、2007年にガザとの国境を封鎖してしまいます。ガザとの国境を持つ国はこの2国だけですから、ガザは孤立してしまいます。さらに、イスラエルによるハマースに対する「テロ視」が、国際メディアに対して発信されるようになるのです。そして、イスラエルに都合が悪いことは、ほとんど伝えられなくなります。
他方で、ガザ封鎖による暴力は拡大され続けています。著者は直接見聞きしたこととして、海水や地下水の汚染、食糧不足による住民の栄養失調、1日8~16時間の停電、失業、それに伴うドラッグ汚染などについて書いています。また、海上もイスラエルによって封鎖されているため、漁業もできないそうです。こういった状態を「世界最大の野外監獄」と著者は伝えています。
一読して、著者が本書で一番伝えたかったことは、「長く続くガザの窮状は伝えられない一方、ハマースをテロ視する誤った情報ばかりが国際メディアによって伝えられ、イスラエルはそれを利用し、ガザに対する攻撃を正当化している」ということではないかと思いました。そして、昨年10月7日の「ハマースがイスラエルを襲撃した」といわれている出来事を、ハマース側の観点から検証し、さらに掘り下げてパレスチナとイスラエルの歴史的な経緯を踏まえ、今ガザでなされていることは、ジェノサイド(大量虐殺)なのだということを明らかにしようとしているのだと思いました。
私自身はまだ勉強不足であり、これからもさまざまなことを学んでいきたいと思っており、何が真実であるかは断言できません。しかし、ナチス・ドイツによるホロコーストが、歴史に大きな汚点を残した誤りであったことを私たちは知っています。このホロコーストは、パレスチナ人には関係のないことでした。けれども、そのホロコーストの誤りを清算するために行われたことが、やはり歴史に大きな汚点を残すことになるであろうパレスチナ人に対する集団虐殺をもたらし、そして、それが今も行われている時代に私たちは生きているのだということを、本書は訴えかけているのだと思います。
■ 岡真理著『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』(大和書房、2023年12月)
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