私たちの人生の希望は何でしょうか。進学したい学校があるとか、ある企業に就職したいといった狭義の希望もあれば、尊敬される人になりたいとか、名誉や名声がほしいといった広義の希望もあるでしょう。
聖書が私たちに与える福音の中で究極の希望は、私たちが、信仰で積み上げた宝のある天の御国にゴールすることです。
1. 善と義
もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。(1ペテロ3:13、14)
ギリシャ語原典から解き明かしますと、13節は「もし、あなたがたが善に熱心に従う者であるなら、あなたがたに害を加える者が、誰かいるでしょうか」となります。14節は「しかし、あなた方が義のために苦しむことがあっても、あなた方は幸いです。彼らの脅かしを恐れたり、動揺したりしてはいけません」となります。
「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです」(同2:24)
自己防衛により悪を行う習慣のある私たちが、キリストの犠牲の死により善に熱心になり、信仰による義のために生きるようになります。
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」(マタイ5:10)
善に熱心で、義のために世的な人たちから迫害されて苦しむ者は、キリストと同じ道を歩んでいるので幸いです。キリストと同じように、天の御国は、義のために苦しむ人のものだからです。
2. 希望と弁明
むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。(1ペテロ3:15、16)
ギリシャ語原典から15節の意味は、「苦しみの中で恐れたり動揺したりせず、心の中でキリストを主として告白しなさい。あなた方が告白した主キリストへの希望について説明を求める人には、いつでも弁明できる用意をしていなさい」となります。
16節は「ただし、優しく良心的に弁明しなさい。そうすれば、キリストにある良心的な生き方をののしる人たちが、ののしったことを恥じ入るようになります」となります。
あなたがキリストを信じる義のために誰かの非難を受けるとしても、主キリストを告白し、苦しめる人を恐れることなく、優しく良心的にキリストにある希望を説明し、弁明することです。そうすれば、口汚くそしった人たちが、自分を恥じ入るでしょう。
3. 肉は死に、霊は生かされ
もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。(1ペテロ3:17、18)
ギリシャ語原典から解き明かすと、17節は「なぜなら、神のみこころは、善を行って苦しみを受ける方が、悪を行って苦しみを受けるよりも優っているからです」となります。
「罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです」(同2:20)
18節は「なぜなら、正しい方キリストが悪い人々の罪の身代わりとなって死なれたからで、それは、私たちを神のみもとに導くためでした。キリストは、肉においては死に、霊においては生かされたのです」となります。
キリストは罪人の罪の身代わりとして十字架上で死に、肉体は死んだが霊は生かされ、天の御国を相続しました。だから私たちは、悪を行い苦しむよりも、善を行って害を受けて苦しむ方が、キリストを告白する義により幸いです。
なぜなら私たちも、キリストのように義のために苦しむなら、肉においては死に渡され、霊においては生きることになり、天の御国に入るからです。
まとめ
確かに、私たちが善に熱心に生きようとするなら、この世の中で義のために苦しみにあうこともあります。しかし、悪を行い苦しむより、善を行い苦しみにあう方が、神に喜ばれます。
なぜなら、キリストが悪い人たちの罪を負って十字架上で死なれ、肉体は死に渡されましたが、霊が生かされ、天の御国を相続したからです。信じる私たちも、善を行い義のために迫害される中でキリストを告白し、キリストにある希望を弁明し続けることで、害を与えた人々が恥じ入ることになります。
私たちの希望は、私たちの肉体が死に渡され、霊が生き、この世の欲と死の害を受けることなく、御国の恵みを頂くことです。
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