家を建てるときに、土台はとても大切なものです。大風雨や地震などの自然災害でも建物が傾いたり移動したりしないよう、基礎コンクリートで固めます。家は砂の上ではなく岩の上に建てるべき、とは昔から言われてきましたが、意外と沢の上や埋め立て地に建っていて、災害時には倒壊したりしています。
聖書では、人生の家を建てる者はキリストなる礎の石の上に建てなさい、と語られています。
1. みことばの乳
ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。(1ペテロ2:1、2)
「ですから」とある意味は、「あなたがたが新しく生まれたのは・・・生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによる」(1:23)とあるように、「新生したのは、不変の神のことばによるのですから」ということです。
1、2節を要約しますと、「神のことばで新生したのですから、すべての悪意や偽善、ねたみ、悪口を捨て、乳飲み子のようにみことばの乳を慕い求め、それにより成長し、確実に救いを得なさい」となります。
2. 生ける石
あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。なぜなら、聖書にこうあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない」(1ペテロ2:3〜6)
ギリシャ語原典を参考にして3、4節を要約しますと、「あなたがたは、主キリストの愛を味わっているのだから、人には捨てられて神には選ばれた、高価な生ける石である主のもとに来なさい」となります。
「生ける石」とは、「人の子イエス・キリストは生きていて、キリストのことばはいつまでも変わることのない礎の石のようである」という意味です。
5節を要約しますと「あなたがたも、不変のみことばによる生ける石として、霊の家である教会に築き上げられ、聖別された祭司として、イエス・キリストにより、神に喜ばれる霊的犠牲をささげなさい」となります。
6節を要約しますと「聖書のイザヤ書に書いてあるように、神は、神の民のために選んだ高価な礎石キリストを置く。キリストに信頼する者は、失望させられることはない」となります。
キリストを救い主と信じ、聖霊により生き、キリストの礎石のようなみことばに従うことで、私たちも生ける石となり、教会の構成員となります。霊的犠牲とは、礼拝と奉仕、証し、伝道などです。
キリストは神の御子ですから、人の救いのためにささげられるいけにえとしては最高に高価な犠牲となります。しかし、キリストの礎石は表面に出ることがなく、称賛されることもありません。
3. 礎の石
したがって、より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、より頼んでいない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった」のであって、「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。(1ペテロ2:7、8)
7節を要約しますと、「より頼んでいない人々にとっては、家を建てる者たちが捨てた石、より頼んでいるあなたがたには尊いもので、礎の石となったのです」となります。
聖書のことばをキリストのことばとして頼りにする人には、それが人生の礎石となりますが、頼りにしない人にはそうなりません。キリストのことばを捨てたということです。
8節を要約すると「より頼んでいない人々にとって、キリストのことばはつまずきの石、妨げの岩なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからで、そうなるように定められていたのです」となります。
聖書のことばは、それを神のことばとして頼らない人にとって疑いと嫌悪のことば、自分の人生を妨げることばとなります。神の知恵により、そうなる定めなのです。
まとめ
イエス・キリストを信じる人は皆、乳幼児から始まり、成人にまで成長していきます。聖書のみことばの乳を慕い求めてそれに従い、悪意、偽善、ねたみ、悪口を捨て続けます。確実に救いを得るためです。
私たちのためには、人から捨てられたけれど神には選ばれた、生ける石キリストがおられ、私たちの人生の礎の石となりました。石のような不変のみことば、キリストの真理のみことばです。
キリストのことばに従い、霊の家である教会に生ける石として築き上げられるならば、私たちは人生の礎の石キリストに、失望させられることはありません。
聖書のことばに聞き従い、信頼する者にとっては、人に捨てられた石が礎の石となりますが、信頼しない人にとっては、キリストのことばが人生のつまずきとなります。そうなる定めなのです。
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