人は人生の自由を求めて、勉強したり仕事したり、お金もうけをします。世の奴隷になりたくないし、仕事の奴隷にもなりたくないからです。
聖書では、奴隷から自由人へと変えられる福音が書かれています。世の奴隷、罪の奴隷、死の奴隷からの解放、また、悪魔とかサタンとか悪霊といわれている霊どもからの解放という事柄もあります。
1. 制度に従う
人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。(1ペテロ2:13、14)
要約しますと、「主のゆえに、人の制度に従いなさい。悪を罰し善を称賛する、王や総督に従いなさい」となります。
「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです」(ローマ13:1)
この聖書箇所を加味し要約しますと、「神は天地を創造し、神の似姿として人を造り、『生めよ。ふえよ』『地を従えよ』と言われましたが、神は親子や親族の上下関係、部族や国における組織構造や権威構造をも示したのであり、全ての関係で上に立つ権威に従うことで、家族や親族、部族や国の安定と平和が保たれます」となります。
神の御心として、聖書の律法や規定に従って生きることだけでなく、悪を罰し善を奨励する人が決めた制度に従うことも、神が決めた摂理の中にあります(神の治めている道理)。
2. 善を行う
というのは、善を行って、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。(1ペテロ2:15)
なぜ、人の決めた制度に従うことも神の御心かといいますと、キリスト者が人の制度に信仰で従い、信仰で善を行うなら、悪を行う愚かな人々の無知を明らかにし、神はいない、見ていない、悪の方が強いとか言う愚かな人々の口を封じることになるからです。
「支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます」(ローマ13:3)
この聖書箇所を加味し要約しますと、「王であっても総督であっても組織のトップリーダーであっても、私たちが支配者を恐ろしいと思うのは、善ではなく悪を行うときで、彼らの権威を恐れて不自由に暮らしたくないなら、善を行って称賛されなさい」となります。
神が善行を私たちに願うのは、愚かな者の無知な言葉を封じるためであり、神の知恵である善で愚か者サタンの悪を対処したイエス・キリストが手本だからです。
3. 自由人で神の奴隷
あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。(1ペテロ2:16、17)
16節を霊的に解説しますと、「悪魔が支配する罪の奴隷だったあなたがたは、イエス・キリストの十字架の血で、罪の奴隷から神に買い取られ、自由人に新生したのだから、その自由を、悪の口実に用いないで、買い取られた神の奴隷として、ふさわしく生きなさい」となります。
17節から、神の奴隷にふさわしい新しい生き方とは、①すべての人を敬い、救いのチャンスを認め、②キリスト者たちを愛し、③神を恐れ、御言葉に従い、④王を尊び、制度に従うことです。
まとめ
人は皆、権威によって不自由な生活を強いられています。しかし神の御心は、私たちが人の立てた制度に従って善い行いをし、悪い行いをしている無知で愚かな人々の口を封じることなのです。
聖書の御言葉に従うキリスト者たちは、世と罪と死の奴隷から解放されつつ、自由人として生き、自由を口実に悪を行うことをせず、愛である神の奴隷としてふさわしく、自由を用いる必要があります。
あなたの言葉と行いに、愛はあるでしょうか。
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