人にはそれぞれ自分の基準があって、その基準に従って選び取りや判断をしています。今の生き方が自分の基準と合致したときには満足感や喜びがあり、合致しないときには不満を感じたり、失望したりします。
聖書が人に提供する基準に、真理というものがあります。自分の基準と一致する真理もあれば、一致しない真理もあります。自分の基準と一致しない真理があるならば、入れ替え作業が必要になります。
1. 真理と愛
あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。(1ペテロ1:22)
この聖書箇所を、ギリシャ語原典を参考に要約すると、「真理に従うことで、偽りのない兄弟愛を抱くようにたましいを清められたのですから、熱く愛し合いなさい」となります。
「主を恐れることは知恵の初め」(箴言9:10)。「主を恐れることによって、人は悪を離れる」(箴言16:6)。「主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない」(詩篇19:9)。これらを加味し要約すると、「主を恐れることで人は悪を離れるという、知恵の初めである真理に従うことにより、偽りのない兄弟愛を抱くようにたましいを清められたのですから、熱心に愛し合いなさい」となります。
真理とは、とこしえまでも変わらない、不変のことです。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:31、32)
聖書にあるキリストのことばに心を留め、みことばに従う者はキリストの弟子であり、真理を知るようになります。真理はその者のたましいを清め、その者を自由にします。
「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです」(1ヨハネ4:8)。神を知ることは、真理を知ることであり、愛を知ることになります。神は愛だからです。
2. 新しく生まれ
あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。(1ペテロ1:23)
「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません」(ヨハネ3:6、7)
1ペテロ1:23を、上記の箇所を加味し要約すると、「以前のあなたがたは、朽ちる肉の親から生まれ、神を求めず、神を知らず、愛を知らない死んだ者でしたが、今は、朽ちない御霊から新しく生まれたので、生ける神のことばにより生まれ、いつまでも生き続けます」となります。
「主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行う者はいない。ひとりもいない」(詩篇14:2、3)
神である主が、天から地上の人々を見おろしたとき、神を尋ね求める、悟りのある者はおらず、善を行う愛を知っている者は一人もいなかったのです。
「その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である」(イザヤ11:2)
肉の親によって生まれた人は皆、神を求めず真理を知らず、愛を知らない人々です。聖霊が与えられて新しく生まれた人は皆、神からの知恵と真理により愛を悟り、神を恐れて互いに心から熱く愛し合うことができるようになります。
3. 主のことば
「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。(1ペテロ1:24、25)
イザヤ書40:6〜8を引用していますが、イエス・キリストの現れのときに備えて送られた、旧約聖書の最後の預言者バプテスマのヨハネが語ることばとして、聖書に書かれたものです。
今までの聖書を加味し要約すると、「朽ちる肉の人は皆、体は老化し死を迎え、名誉名声業績は忘れ去られる。しかし、とこしえに生きる主キリストのことばは、永遠に変わらない真理のことばです」となります。
私たちは朽ちていき栄光を失う肉にすぎないけれど、永遠に生きている主キリストのことばはとこしえに変わらず、私たちの救いと新生と栄光も変わりません。これが、私たちが今聞いている救いの福音のことばです。
まとめ
聖書にあるキリストのことばに心を留め、みことばに従う者はキリストの弟子であり、真理を知るようになります。真理はその者のたましいを清め、その者を自由にします。神は愛ですから、熱く愛し合いなさいとあります。
キリスト・イエスのみことばにより、私たちの霊が御霊によって新しく生まれるなら、私たちも永遠に生き、私たちの栄光もとこしえに変わることがありません。
私たちは朽ちて死んで、その栄光も失う肉にすぎないけれど、永遠に生きている主キリストのことばはとこしえに変わらず、みことばを信じる私たちの、罪と死からの救い、聖霊による新生、神の子としての栄光もとこしえに変わりません。
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