2月末にロシアが軍事侵攻して以降、民間人を含め多くの死傷者が出、いまだに停戦の兆しが見えないウクライナ。神戸国際支縁機構の海外部門である「カヨ子基金」は、その戦時下のウクライナで孤児の家「カヨコ・チルドレン・ホーム」の建設を進めています。8月上旬に2回目となる現地視察をしてきたカヨ子基金の佐々木美和代表によるレポート(全4回)の第3回を届けします。(第2回はこちら)
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障がいのある孤児たちとの出会い
8月8日、バレンチーナさんたちと回っていると、キーウ州ブチャ地区の村で、障がいのある孤児の子どもたちに出会った(写真11)。
孤児は愛情に飢えている。人懐こく、あいさつをしただけで筆者の懐に飛び込んできた。この子たちは障がいがあり、父親だけでなく母親もいない。オクサナさんは孤児のためにケア施設を建設した(写真12)。その笑顔からは想像し難いが、オクサナさんは共に働きをしていた姉妹をコロナ感染のため5月に亡くした。それでも孤児のそばにいる。行政主導ではないウクライナ初の民間孤児施設だ。ボランティアの行動が求められている。
孤児たちの笑顔を見て、戦時のボランティアの緊張がほどけたのは感謝であった。しかし、多くの孤児たちが救済されず、福祉も不十分で、世話がなされていない現実がある。キーウ市の児童課は、カヨ子基金に対して、制度の決まりをはじめ次々と説明をした。孤児施設の建設が複数必要であること、緊急であること、次の計画の内容の確認などを説明する。孤児たちを戦禍から避難させること、収容先の確保、それも行政だけでは手が回らない数のホームが必要なこと、おまけに緊急性が求められている切迫感が伝わる。
第1次ウクライナ・ボランティアでオクサナさんがはっきりと述べていた。行政による収容型の孤児施設の環境はどこも満足できる状態ではない。今回、収容型の孤児施設を訪問する機会はなかった。断片ではあるが、子どもたちの人権が軽んじられている状況を知り、いたたまれない思いがした。
イルピン再訪、寄せられる日本からの支援への期待
8月9日、ロシア軍による制圧と破壊により有名になったイルピンを再訪した。現地の政治家らからもあいさつをされ、日本からの支援への期待を述べられた(写真13、14)。自分の周りの子どもたちが送還されてくる現状を目の当たりにするイルピン市民(写真15)の口からは、子どもたちが帰ってきたときの受け入れ先が問題だという声を聞く。子どもたちを受け入れる居場所、ホームはどうなるのかと。
ボランティアは美談ではない。まして戦時下にあり、自分たちの生活が苦しい中で、誰も立ち上がる余裕はない。皆が物価高、物資不足、生活苦に耐えている。戦地から到着していない「まだ見ていない」孤児のために手を差し伸べようと志願する者はいない。
孤児の家提供希望者と面会
8月9日はまた、孤児たちのために家を提供したいと申し出てくれたビクトリア・コスティナ(45)さんと会い、話し合った(写真16)。2人の息子を抱え多忙な中、父親から受け継いだ家を渡したいという。父親がチョルノービリ原発事故後に「最もきれいな場所」として購入しておいた家である。
おかげで、カヨ子基金の孤児の家「カヨコ・チルドレン・ホーム」の候補場所が3カ所になった。次回、どこにするのか、神戸国際支縁機構の岩村義雄理事長に検分してもらい、決めることにした。
バスの遅れが与えてくれた出会い
その後、ウクライナからの帰途に着いた。帰りもポーランドを経由することになるが、長距離バスの出発が遅れた。
キーウからポーランドに向かう長距離バスの乗り場で、キーウ市民と親しくなった(写真17)。日本からわざわざボランティアをしに来た筆者の動機に関心を示した。ミハイロ・スベルチュコバさんという屈強な男性である。長女のアリョーナさんが英国のマンチェスターへ向かうところだったが、バスの遅れを受け、飛行機を逃すことになってしまったという。コーヒーのごちそうの寛大な申し出を受けたが、最初は断った。アリョーナさんの不運を思うと喉に通らない気持ちになったからである。筆者の様子を見て、今度は、無農薬のおいしそうな香りを放つリンゴ数個を鞄に押し込んでくれた。ボランティアを日本の東北、九州で繰り広げる中で、「受縁力」について思わせられた。喜んで人の好意を受け入れるのも、ボランティア道では大切なのである。
アリョーナさんは19歳の若さながら、外国から来た筆者にいろいろと気遣いを示してくれた。長距離バスに乗っている間に、イルピンやブチャに行ったと筆者が述べると、「Can you show them to me?」と、写真を見たいと申し出た。一通り写真を見たアリョーナさんは口を開いた。「ウクライナに来るのは怖くなかったの?」 これは長距離バスに乗っていた他の女性からも尋ねられ、行きのバスではヤナさんからも質問された。質問をするのは、彼女たち自身が恐怖を感じているためだ。キーウで生まれ育ったアリョーナさんも、身の危険を感じながら過ごしていた。華やかなキーウの中心街は窓ガラス一つ割れていないが、一歩郊外に出ると誰もが爆撃の危険にさらされている。
「縁」が生まれるボランティア道の醍醐味
長距離バスでナタリー・モロズさん(写真18)と相席になった。今回のバスも満員だった。ナタリーさんは英語を話せず、筆者はウクライナ語を話せなかったが、身振り手振りで会話をした。非言語コミュニケーションである。筆者の手には塩気の効いたプリッツェル。朝食に下さった。遠慮しないようにと、おかわりをするよう筆者に3度も促した。筆者はポーランドのクラクフで降りたが、ナタリーさんはチェコまで乗車するという。
到着後、ポーランドでも列車のダイヤの乱れに遭遇した。普段、市民でさえ経験したことがないひどい遅れだという。クラクフ市民のコーシャ・タカダさん(30)は、親切に筆者にいろいろと教えてくださった。異国の地では、人情、温かいほほえみ、ちょっとした親切から、大きな力を頂く。コーシャさんの娘が通う幼稚園も、3分の1はウクライナからの避難民が占めている。これからもっと増えるだろうということだった。ウクライナからの避難民流入に伴い、ポーランドの物価は著しく高騰している。
筆者がボランティアについて述べると、ウクライナはどうだったのか、本当に報道の通りなのかとコーシャさんは熱心に尋ねた。日本でも、ウクライナでも、またポーランドでも、市民は皆、報道と現地の情報に乖離があるのか、ないのかを知りたがっていた。彼女の夢は、孤児を引き取ることだという。ここでも思いがけない出会いが生まれた。再会を約束したのは言うまでもない。自分の努力によらず「縁」が生まれるボランティア道の醍醐味(だいごみ)に感謝した。(続く)
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カヨ子基金では、ウクライナに孤児の家「カヨコ・チルドレン・ホーム」を建設するための寄付を募っています。寄付は、郵便振替(記号:14340、番号:96549731、加入者名:カヨ子基金)で受け付けています。また、ウクライナの他、自然災害などで親を失ったネパールやバヌアツ、ベトナムの孤児たちの教育費などを毎月1口3千円から定額で支援する「里親」の募集も行っています。詳しくは、カヨ子基金のホームページを。問い合わせは、電話(078・782・9697)、メール([email protected])で。