「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ6:23)
3億円の宝くじに当たった人がインタビューを受けています。「当選金をどのようにお使いになりますか」と聞かれ、彼は「消費者金融の3つの会社の借金をまず返済します」と答えました。
「それで残りはどうされるのですか」と重ねて聞かれたので、彼は言いました。「はい。残りの会社には返済をもう少し待ってもらいます」。3億円でも足りないとは、一体この人はどれだけの負債を抱えているのでしょうか。
実は、聖書は「すべての人間は創造主なる神に対して莫大(ばくだい)な負債を抱えている」と告げています。その負債とは「罪」です。「罪」とは、神に対する不従順で不信仰の態度や生き方そのもののことです。そして「罪の報酬は死です」。つまり、「罪」という負債を抱えたままの人間は、神の裁きによる永遠の死をもって償わなければならないのです。
しかし神は、私たち人間に対する愛の故に、その独り子イエス・キリストを私たちの身代わりに十字架の死に渡され、罪の贖(あがな)いを成し遂げられたのです。このイエス・キリストの十字架での身代わりの死を受け入れる者に、神は「永遠のいのち」を与えてくださるのです。
十字架刑とは、生木の十字架にバタバタと抵抗する死刑囚を無理矢理押さえつけて、両手・両足を太い犬釘で打ちつけ固定し、その十字架を垂直に立てます。そのとき、囚人の全体重が両手と足の3点にかかり、ジリジリと肉を引き裂いていきます。気絶しそうな激痛が全身を駆け巡ります。
こうして1日、2日、3日・・・そして飢え、乾き、激痛に悶え苦しみ、最後は窒息で死に至ります。
イエス・キリストは、朝の9時に十字架につけられました。その日はユダヤ人の過越の祭りの初日で、エルサレム神殿では「過越の羊」がほふられる時間でした。このとき、ゴルゴダの丘では「世の罪を取り除く神の子羊」が十字架につけられたのです。
イエス・キリストの両側には2人の強盗も十字架につけられました。この2人は、本来私たちが受ける罪の罰がどのようなものかを教えてくれます。気を失うような苦しみの中で、十字架の上のイエスは言われました。「父よ。彼らをお赦(ゆる)しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです」
やがて12時になると、太陽は光を失い、全地は暗闇に覆われます。そして午後3時にイエスは「完了した」と言われ、「そして頭を垂れて霊をお渡しになった」のです。
ローマ兵はイエスの死を確認すると、イエスの脇腹を槍で突き刺します。するとただちに「血と水」が出てきました。これは、人間が激しい苦しみを体験して心臓が破裂したときに、血と血清が分離して胸の中に溜まります。その箇所を槍で突いたので「水」と「血」が流れ出たように見えたのです。
イエス・キリストは全人類の罪を背負い、その罪に対する恐るべき神の怒りが下されたときに、あまりの恐怖と苦しみの故に心臓破裂を起こしたのです。キリストが最後に「完了した」と言われました。これは「すべての負債が支払われたこと」を意味します。
さて、私たちはこのイエス・キリストの十字架の苦しみを見て、どうすべきなのでしょうか。
「あー、なんて痛ましいイエス様。かわいそうな主よ」と嘆いて、悲しんで同情してほしいと神は願っておられるのでしょうか。もちろんそうではありません。イエス・キリストは「自分の苦しみ、自分の痛み、自分の十字架の死を無駄にしてほしくない」と言われます。
パウロは次のように言っています。
「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました」(ローマ4:25)
あなたも、十字架のイエス・キリストを仰ぎ見て救われてください。
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