「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)
2人の酔っぱらいが暗い夜道を歩いています。すると道の真ん中に何か落ちています。
「オイ!あれに見えるは犬の糞のようだけど、どう思う?」聞かれた方が答えて「確かにそのようにも見えるけれど、もう少し近づいて確かめてみよう」
そして2人はその糞のそばにしゃがみ込んで、ジーッと観察を始めました。「見たところ確かに犬の糞だよな」「確かに!」「では、臭いはどうかな?」「臭いも確かに糞だよ」「では、触った感触はどうかな?」「感触も確かに糞だよ」「では、味はどうかな?」「味も確かに糞だよ」
こうして2人はそこに落ちているのが犬の糞だと確信しました。そしてこう言いながら去って行きました。「あー踏まなくてよかった!」
新約聖書ヨハネの福音書18章に、イエスを尋問するユダヤ総督ポンテオ・ピラトの姿が記されています。ピラトはイエスに尋ねます。「あなたは王なのか?」イエスは答えて「わたしが王であることは、あなたの言うとおりです。わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。真理に属するものはみな、わたしの声に聞き従います」。するとピラトは「真理とは何なのか」と言って尋問を終えます。
ピラトは自分の目の前に「わたしは真理である」と言われたイエス・キリストを見ながらも、真理をつかむことはありませんでした。ピラトはイエスを尋問しながら「この人物はただものではない。この人物は自分の人生に関わる大切な鍵を握っている」と感じながらも、自分の政治的特権や社会的立場を失うことを恐れて「真理」をまたいで行ってしまったのです。
太宰治は、熱心に聖書を読んだ作家です。自分の作品の中に何度も聖書の言葉を引用しています。しかし、信仰を持つには至りませんでした。手を伸ばせばすぐ届くほど真理のそばにいたのに、手を伸ばすことをしなかったのです。
クリスチャンの文芸評論家、佐古純一郎は言います。「太宰は一人で聖書を読んだので、罪とそれに対する神のさばきは分かったが、罪の赦(ゆる)しの福音を知らなかった。だから、教会にさえ来ればその福音に触れることができ、救われてキリスト者になったのに」
しかし、菊田義孝は太宰に熱心に伝道しています。罪の赦しの福音であるイエス・キリストの十字架の救いについてもはっきり語っています。菊田の著書『太宰治と罪の問題』の中に次のようなくだりがあります。「罪があるから、というんですか。でもパウロによれば、我々の罪はキリストが我々の身代わりになって十字架についてくれたおかげで神の前では既に完全に赦されている、ということですがね」
これに対して太宰は口をとがらせながら「赦されてなんかいるものか」と答えているのです。これが罪の赦しの福音を聞いたときの太宰治の応答でした。太宰は福音を知らなかったのではなく、知っていてこれを拒否したのです。太宰が亡くなる直前に書いた最後の短編小説『桜桃」の題名の横に「山べにむかいてわれ 目をあぐ」という旧約聖書の詩篇121篇の言葉を添えています。
「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。私の助けは主から来る。天地を造られたお方から」(詩篇121:1、2)
太宰治は「私の助けはどこから来るのか」と悩んだのです。しかし「天地を造られた方、主イエス・キリスト」を拒んだため、なお深い闇に迷い込んだのでしょう。そして1948年6月13日、東京三鷹市の玉川上水に入水したのです。
ポンテオ・ピラトも太宰治も「わたしが真理です」と言われてイエス・キリストのすぐそばにいながら、イエス・キリストが与えてくださる救いにあずかることはなかったのです。真理であるイエス・キリストに対峙したとき、どう応答するかというその人の心理状態によって、その人の人生は大きく変わってしまうのです。
◇