「みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです」(ヤコブ1:23)
昔々、ある若者が突然父親を亡くし、悲しみのあまり仕事も手につかず、食事も喉を通らず、日に日に痩せ衰えていきました。その様子を見兼ねた天使がやってきて、一つの箱を渡して言いました。「寂しくなったらこの箱を開けて見なさい。きっと元気が出るから」
そう言われて箱を開けてびっくり。何とそこには懐かしい父親がいるのです。しかし大分若々しい顔です。若者はうれしくなって毎朝毎晩それを開けては「お父さん行ってまいります」「お父さん今戻りました」。こうして若者はすっかり元気を回復していきました。
その様子を見ていた妻は不思議に思い、ある日、夫の留守にこっそりその箱を開けて見てびっくり!「あら、あの人、こんな所に女の人を隠してる。どうりで機嫌がいいはずだわ。しかし、どうしてよりによってこんな女の人を囲っているのかしら。これじゃー焼きもちも焼けやしないじゃないの」
普通、鏡はありのままを映してくれます。映りが悪くても鏡のせいではありません。聖書も聞く人、読む人の心を映し出す「鏡」のようです。ある人は聖書の言葉に反発します。ある人は疑います。ある人は無視します。ある人は素直に受け入れ従います。そこに、その人の心が映し出されているのです。
昔、米国のメンフィスに小さな雑貨店を経営している人がいました。いろいろやってみるのですがなかなか利益が出ません。損ばかりしている彼の名前はソンダース(名前が悪い?)。「こんなことならもうやめようか」と悩んでいたとき、ある日曜日の礼拝説教で牧師が語る聖書の言葉が心に深く刺さりました。
「受けるよりも与える方が幸いである」(使徒20:35)
「何事でも自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」(マタイ7:12)
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ6:33)
彼はこれらの言葉によって、自分が今までどれだけ誤った心でビジネスをしてきたかを示されて悔い改めたのです。今までは、どうしたらもうかるのか、どうすれば利益を上げることができるのかということばかり考えていたのです。それは、言わば自己中心視点での発想です。彼は、自分がいかに自己中心で強欲な人間であったかを教えられたのです。
そこで彼は、視点を変えてお客さんはどんな店を望んでいるのか、どんな店だと心地良く買い物ができるのかという発想で店作りをやり直したのです。そしてソンダースが考えたのが、今は世界中のどんな町にもあるスーパーマーケット方式の店です。つまり、お客さんが自分で品物をかごに入れてレジに並ぶという方式です。
こうして最初のスーパーマーケットが1919年にソンダースによってメンフィスで始まったのです。そしてその後、3年以内に全米中に1万2千店のスーパーマーケットができていくのです。その始まりは一人のクリスチャンが聖書の言葉を聞き、自分の間違いを示され、勇気を持って正して行ったことによるのです。
聖書という鏡の前に立つとき、あなたの心はどんな姿に映っているでしょうか。
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